バックナンバー 2003年4月分 2003年4月29日(火) 「人類存続のためのパラドックスなのか?」 SARSは中国の作り出した生物兵器である、という説がある。 それがいわゆるバイオハザードによって世に漏れてしまったのか、 はたまた“一人っ子政策”も目に見えて奏功せぬ現状、 右肩上がりの人口増加ヴェクトルを恐れた政府首脳が意図的にバラ撒いたものなのか。 そんな中俺は、 これはヒトという種族のDNAにあらかじめプログラミングされた種族防衛本能の現われなのではないか、 と本気なのか冗談なのかどちらとも判断つきかねるようなテンションで思っている。 レミングの集団自殺、という現象をご存知か。 レミングとはなんかよく分からんが外国に住んでおるネズミのような小動物なのだが、 ヤツラは個体数が一定以上に増えてしまうとその数を減らすべく、 何と集団でドボンドボンと海に飛び込み入水自殺を遂げてしまう、という習性を持っている。 その現象は、個体数が増え過ぎることによって起きる食糧不足を原因とする絶滅を回避するため、 DNAが意識外に下す命令によるものである、と考えられている。 50億だか60億だか知らないが、人口爆発という言葉が使われて久しい現代の世界過密事情、 将来的にはタンパク質不足を補うため肉に代わって昆虫が食卓に上るのではないか、 とも真剣に予見されていたりする。 つまるところ、十数年前から猛威を振るいだしたAIDSしかり、 そして今回のSARS、もっと言えば同種族同士が無益にその命を奪い合う戦争なんかもみんなまとめて、 滅亡を避けるためのある種パラドックス的な、 人間という種族の自己防衛行動なのではないだろうかこれは、 と思われて仕方がないのである。 2003年4月25日(金) 「河童の出自」 「河童」という妖怪がいる。 あれは日本が起源の妖怪だと思っていたのだが、 そういえば中国のお話「西遊記」にも沙悟浄という河童が出てくるな、と突然思い出した。 一体真相はどういうことなんだろう? 2003年4月20日(日) 「蜷川幸雄の『青の炎』は傑作でした」 おかげさまで今日トップページを見たらカウンターが5000を超えていた。 感謝感謝です。 以前この欄でも触れたことがあるが、映画「青の炎」を今日、観てきた。 概ね満足はした、かな。 もっとも、主人公の少年が最終的に死を選ぶに至った過程をもっと丁寧に描いて欲しかった、とか、 そこから連なるラストシーンへの持っていき方、 観客の感情を昂ぶらせる道程をもっと作り上げて欲しかった、とか、 殺人のトリックの説明が不充分過ぎて、あれでは原作を読んでいない観賞者に伝わらないんじゃないか、 とかの不満はいろいろあるけれど。 文句なしの傑作である原作の持つ世界観というものには、 いかに舞台演出の鬼才、蜷川幸雄といえども及ぶことはできなかったけれど、 前作、森田芳光監督の「黒い家」という大駄作の後だからかも知れないが 俺が予想していた最低レヴェルを下回るような作品ではなかったと思う。 何よりも思っていた以上だったのは、主人公を演じていた二宮和也。 少し影のある、難しいキャラクターを実に上手く演じていたと思う。 ハマっていたのかも知れない。 ドラマ、映画を通じて、今の彼の年代の俳優の中ではトップクラスの演技力なのではないだろうか。 蜷川監督がベタ褒めしていたのもよく分かる。 役者、としても充分通用する、と今日は思った。 一番心配していた?松浦亜弥をはじめ、他の出演者たちもみな(山本寛斎を除いて) 良い演技をしていたようにも感じたし。 蜷川幸雄はご存知の通り、舞台演出家であるから、 こと役者の演技指導に関しては本当にしっかりしているのだろう。 役者の肉体、表情、声をどう使えば、観るものに表現内容が伝わるのか、 ということを熟知している演出家なのである。 ただ、これも舞台演出家にありがちだと俺は思っているのだが、 役者の細かい自己表現にこだわる割りに、ストーリーの枝葉末節、 そして画作りにはそれほどの神経を注いでいないようにも感じられる。 ここでこんな伏線を張ればもっとオチが活きてくるのに、とか、 この表現は違うカメラワークで見せる方がより伝わりやすかったんじゃないのかな、 ということを何回か感じた。 まあ監督としても俺なんぞににこんな言いたい放題書かれてさぞお気の毒ではあるが、 キャリアも実績もレヴェルもゾウとアリンコほど違うとはいえ、 仮にも同種の世界に生きる者として、その作品に尊敬と畏怖を感じた上に、 自らの成長の期待も込めて思ったことを自分なりに咀嚼して書き連ねているのでどうぞご容赦を。 もちろん今の俺にこの「青の炎」と同じクオリティを持つ作品を作ることなんか絶対にできません。 言うまでもなく。 また、東儀秀樹の音楽もとてもよかった。 メインテーマとなっているピアノ曲を始め、挿入曲もみな作品のテイストによく溶け込んでおり、 作品世界の邪魔を決してせずに、逆にその価値観を理解する助けとなる、 という映画音楽のありうる最も良い形をとっていたように思う。 よく“泣ける映画”というものがあるが、 そういう映画において観賞者に涙を流させる最後のスイッチを入れるのはいつも音楽である、 と俺は思っているから、そういった意味でもこの「青の炎」の音楽は素晴らしかった。 純粋に楽しんだとともに、とても勉強にもなった2時間だったなぁ。 2003年4月7日(月) 「野球、そしてバーベキュー(そのまんま)」 昨日は久しぶりの休日、事もあろうに一睡もせず、7:00プレイボールの草野球に参加してきた。 天気も良く、日和は絶好、守備の方ではショートで先発して無失策、 最終回はリリーフとして登板して自責点0とまずまずだったが、 打撃結果は2打数0安打、1三振、エラーで1出塁。 しかもその出塁も走塁ミスで憤死。合掌。 試合も8対1で負けてしまった。南無南無。 昼からは牛頭大王一家とM山夫妻が来襲、大阪城公園にて花見withバーベキューを楽しむ。 想像を絶する人手であった。 まあ、花見日和としてはピークだったでしょう、昨日は。 大人6人、子供2人と少人数だったので、広大な公園の芝生内には何とか居住区を確保できて一安心。 食って食って喋って寝て散歩して食って、楽しいなぁ。 陽も傾きかけた帰り際、 隣り合わせた軽音サークル臭いオーラをプンプン振りまいていた軍団が持参していたスピーカーから、 我ら三十路前後世代の琴線を揺さぶる古き佳きハードロック、Guns'n'Rosesが聴こえてきた。 今の学生世代の中では、時代が一回りして「ハードロック聴いてるヤツってオシャレじゃーん」 とか何とかなっちゃってるんだろうか、昨今は。 あー、眠たい眠たい。 2003年4月5日(土) 「ボクの脳ミソレヴェル」 ここのところ仕事が尋常ではなく忙しい。 そのせいか、最近見る夢にも仕事関係のものが多い。 家でリラックスしていても(しているつもりでも)、突然フと仕事についての何事かを思いつき、 忘れないようにと会社の自分のアドレスへメールを送ることもしばしば。 On the job モードの時は仕事に頭と体を支配されていても構わない、 むしろ本望と感じるべきことであるが、 オフの時にも、 決して望んでいないにも拘らず自動的に仕事に脳ミソを支配されてしまっているというのは、 非常によろしくない事態だと言わざるを得まい。 また、こんな時期は(こんな時期でなくても)決まって、 仕事に関係のないすべての物事について、記憶力が著しく減退する。 はっきり言ってさっき食ったものも思い出すのに苦労するし、 妻と何を喋ったかも覚えていないし、歯医者の予約時間もスッ飛ばすし、 シャンプーと間違えてボディソープも頭に付けるし、メガネの位置も分からんくなる。 でも仕事のことだけは、 喩えるなら塵一つに至るまで寸分違わず海馬の中に焼き付いているというわけだ。 個人の脳力のキャパシティというものはやはり一定なのだと痛感するとともに、 明日のことどころか、10分先すらも想像だにしなかったあの頃がとても懐かしく偲ばれる。 大人になるってこういうことなのね。 |