海洋空間フミオ君のボヤキ




第1回 時と自分   2004.1.14



今年も年が明けて、2004年になった。
おおみそかの日などはソワソワして「今年はいろいろあったな」とか
「来年はどんな年になるのだろう」とか、いろんなことが頭の中を去来するのに、
実際に年が明けてみると何てこともないし、
いくら凄い目標を掲げてみても自分の気持ちが一変したわけでもない。
実際は、人間が勝手に決めた西暦というものが2003から2004になっただけであり、
時は刻々と相変わらず進んでいくだけだ。
そして、相変わらずの私がいる。
20歳になった時もそんな感じだった。
10代が終わってしまうことの残念さと
「ハタチ」へのちょっと大人の世界へのドキドキしたものが混じった感じで、
誕生日の当日や前日はとてもソワソワしたものだ。
周りも「ハタチになったら何がしたい?」とか、
いかにもハタチになったら何でもできるかのように言う。
だけど、誕生日が過ぎてもやはり普段と変わらない自分がいた。
何か私の描いていた大人の世界が急に開けた訳でもない。
私は今まで「時が過ぎる」ことと「自分が変わる」ことは関係があると思っていたのだ。
だけど、そうではない。
「自分を変えたい(変わりたい)」と思ってずっと生きてきた私は
いつも取り残されたように感じたり、これでいいのだろうかと考えたりしていた。
しかし、肝心なことは「心の持ち方」であり、「時の経過」とは関係ないのだ、
と今さらながら気付いたのだった。
以前友達が私に言った
「全然変わってないね」という言葉は果たしてどういう意味があったのだろう…。
褒めているのか?
呆れているのか?
皮肉のつもりなのか?
どんな意味が込められていたにしても、
受け取り手の私が軽くショックを受けたのだから、
褒めてはいないのだろう。
「心の持ち方」次第で自分が変われるならば、
今この瞬間からでも変われるのか?
いや、私が目指す自分とはどんな自分なのか?
というベクトルもまだ定まっていないこの状況では、とうてい不可能だろう。
いや、きっと私は「自分が変わる」こと自体にこだわり過ぎている。
「今」という「時」を充実させるしかないのかとも思う。
その積み重ねが未来の自分につながっていくのだろう。
そして多分、「自分が変わった」ことは自分自身では分からない。
他人という鏡を通してしか知り得ないことだと思う。

このようなことを悶々と考えつつ、また今日という日も終わっていく。
さぁ、ボチボチ行くか。






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