海洋空間壊死家族2



未開の地・和歌浦に泥濘キノコが潜む!!   2004.3.14




話として唐突だけど、急に出てきてびっくりするというものにクルマ運転中の猫の横断や、就寝中の鼻血のようなものがある。
どちらもあれっ?あらっ?という考えもつかなかった方向から出現するものの、しかしある意味いかにもありがちな自然界の日常茶飯時という感じで、しっくりとその場のシチュエーションと心情になじんでいく性質のものである。
つまり、急なことだけれども、ま、人間としてある程度は覚悟ができていたあんな事象こんな事象というのがそれらのメルクマールなのであるが、今回そのような急峻な転落感覚とともに「旅に出よう!」という意識がこの期末も差し迫った時期にずばっと我が心の垣根の曲がり角から沸き起こってきたとしても、そういう意味で当方としてはそれほどの驚きはなかったわけである。

ちょっとまわりくどいけれど、そういう昭和新山的な唐突に勃興する事情があってこのあいだ紀州和歌山に2泊3日の小旅行をしてきた。
月日は百代の過客にして・・という言葉も古舘が使ってから急激に味わい浅い言葉に成り下がってしまったが、人間はいつも心のどこかで旅を待ち受けているのである。
そして私の場合、わきいずる雲のごとく浮かび上がったそのそぞろ心は押しとどめようもなく、待ち受け画面からひとっ飛び、ハエトリグモの様にその旅の機会をとらまえて、約束や予定を振り返りもせずちゃっかりと自由意思の赴くままに行って参った次第なのである。

龍神温泉から白浜温泉を巡る海千山千の大スペクタクルの旅行メンバーは、夫婦二親等内の超近親オンリーのひきこもりクルマ旅行・定員6名。
最近流行りの三世代旅行である。
基本的に大人数での旅行というのはいろいろな意志と欲望と事情が錯綜するのであまり好きではないのであるが、ここ数年で増えた家族の皆様とご一緒に、きちんと旅館なんぞに宿泊する正しい律儀な旅をしてまいりましたご報告をここにいたしたいとこう思うわけなのである。


1.和歌山城

まず驚いたのが和歌山の近さである。
私は大阪に住んでいて、生活上必要もないから普段そこから南に行ったことはなかったんだけど、実際こんなにも近いとは思わなかった。
たしかに職場に和歌山から来ているという人がいて、いま考えるとそれもありだなとは思うけれど、意識の上では、和歌山の人って大阪まで電車で2〜3時間(当社比)、大変だなぁーというイメージがあったのである。
今回阪和道路をぶっ飛ばすと、1時間もかからずに和歌山インターまで到着してしまったというのは新鮮な驚きであった。
神戸より近い。
そしてあまりの到着の速さにやや腰が引けつつも朝っぱらから和歌山城に登った。
安易だけれど私はたいがいの都市へ行くとその中心にあるお城に必ず登るようにしているのである。

言うもおろかなことではあるが、お城という特別なる台地には必ず三つのものが鎮座ましましていて、まず一つはその土地のおおまかな歴史が集積していること、一つはその土地のおおまかな地形が眺め掴めること、もう一つがそこの土地の文化レベルの実質的表示が顕現化しているという地方行政管轄内三祭神である。
まず天守閣があるにしろないにしろ、そこにはほぼ確実に歴史博物館的なものが存在していて、もともと歴史が嫌いでない私などは半日そこで資料を見暮らしても飽きないようにできている。
ある人物や土地の歴史というものは、その実物の名前のようなもので、それを知った途端に無根拠な親近感がわくというのは、例えば花の名前を知った後と知る前ではその花に対する感情がまったく異なるということからもよく分かるように、せっかく来た土地に愛着を持ちたくなるのは当然の心の動きなのである。
さらに、城をその場所に建設した当時の人々の意識と感覚の鋭さには頭が下がるのだけれど、山城にしろ平城にしろ、ほぼその土地の感覚というものが掴める場所に城というものは存在しているのである。
あれは生命の危険を常時感じられぬ現代人には復元不可能な方向防御感覚であって、その土地に末端神経というものがあるならば必ず中枢というものがあり、まさにそこに城というものがきちんと建てられているのである。
特に天守閣に登れるようになっていると、ぐるりと周囲が見渡せて、そこからの景色というものはこれから始まる旅行の概要と興奮を予測させるに十分なものとなっている。
そしてさらに、城内のあらゆるインフラや、説明や、城全体の出来栄えによってその土地の楽しさというものが判明してしまうようにできている、というよりこちら側が進化してそうなっている。
ラーメン屋のうまいまずいってその店の外観である程度わかるけれど、そのような第六感がその土地に対するお城を基準とした判断体系にかたちつくられているわけである。
その城でのエンターテインメント性が明らかに低い場合、おや?という軽い調子外れの感覚は、土地全体に対してのおやまあ!という大きな落胆へとつながる坂道への第一歩であるのは経験上間違いがない。
そういう意味で、和歌山城はまず合格点のつく楽しさであった。
土足で上がれる天守閣にはなぜか素人画っぽい徳川家康の大きな絵が立てかけてあったり、その本丸をぐるりと囲んだ天守閣を連立式天守閣と自賛してみたり、我が旅行心をくすぐるテイストにあふれていて、こちらとしても俄然やる気が出てくるのである。
そしてそれは下城後の和歌山ラーメンの昼食を同じ店で2杯オカワリする怒濤の勢いとなって実体的に流れ下っていくのであった。


2.温泉

1泊目は龍神温泉の上御殿。
ここは和歌山城の殿様がそのむかし逗留した名門の旅館であって、お城から流れ着いたこちらとしては、上様のおなぁーりぃーという誇大妄想的な心情であったのであるが、何たることか、本日法事が営まれているようで、旅館の人々は上を下へのおおわらわで、私どもに関り合いを持ってくれるのは担当の仲居さんただ一人、という惨状にあって少し寂しい感じではあった。
しかし湯質はなかなかどうしてぬるぬるの日本三大美人の湯であるから、うちの下賤の子供なども風呂入った後はぴかぴかに白光るお顔になって上等の夕飯を人の分までぶん捕って喰らい尽くしていた。

昨年末泊まった温泉旅館で焼酎を頼んだら、出てきたのが「樹氷」で、しかも750ml=4200円だったのがショックだったので今回申し訳ないけど持ち込みをした。
あの夕飯の残りもんをつつきながら夜更けまで持ち込みの高級酒を飲む感覚こそが旅行の醍醐味であるなあ、とこのたび深く実感した次第である。

次の日は近所(といっても車で2時間弱)にある川湯温泉と少しくだって那智勝浦の忘帰洞温泉に行った。
川湯温泉は河原から自然に湧き出ている温泉で、漬かっているとケツの辺りが急にぼこぼこっとなって、ぐぃえりゃぁうっと熱湯が湧き出てきて、まいったまいったという喜びの温泉なのであるが、まるっきり無料というところがうれし正しい。
そしてうら若き乙女がきれいな水着、バスタオルを装着して多数入浴しているという事実もさらにうれし正しい。
実際まぶしくて目を向けられないくらいのキレイめ数人がてらいもなくザブザブ入っていたのが、最近の露天風呂混浴の真実の一端なのである。
むかし北海道のカムイワッカという、せせらぎから滝から川の流れすべてが温泉となっているところに行って楽しかった覚えがあるのだが、そこにはそういう見目麗しきをみなの姿はなく、リュックにザックの山男ばかりであったのがありゃまという感じにフラッシュバックしてくる。
ここ川湯の湯質は上質で、たしかに川の温泉特有のアオミドロ苔ミドロな香りもあるのだけれど、そこの川守(湯温調節している)みたいな人につかまって、出たくても出られないしゃべくりの小一時間というのもあっておもろ悲しい旅情であった。
ただ美人集積は交通の便良き理由により、ある背中合わせの事実をも引き寄せていて、そこに集ってくる人々の中に観光バスでどやどやとやってくるヒトの群れというのがいて、そのヒト(特にオバちゃんなんだけど)らは入っているヒト(つまり私らのこと)を河原の岸にしゃがんでツアーの制限時間いっぱい眺めてはまあまあ・・という顔をしているのである。
あろうことかカメラを手にしてシャッターチャンスを狙っているヒトまでいるようなのだ。
川湯温泉てそういうスポットではないような気がするのであるが、一般的には川に温泉が沸いていてそれを見に行くという紅葉狩りや滝壷巡りのような対象となっているのだろうか。
人類骨格学的にいうとあれは依託代償行為といって、無意味かつ無目的でただ単に迷惑なだけであって、彼女らもいったい自分が何をしているのかよくわかっていないようなところがあり、この日本社会において手早く解決されるべき第一の問題であるように思う。

忘帰洞温泉はこれまた和歌山の殿様が入ってたら帰るのを忘れちゃったという、嘘かまことかの言い伝えのある温泉であって、殿様つながりで来ている我々にとっては縁(エニシ)を感じる温泉で期待しながら入ったのであるが、まあ、結論から先にいうと、大したことない、というより誰がこんな駄目温泉にしたか・・という嘆息の温泉なのであった。
シチュエーションは最高で、洞窟内に湧き出る温泉につかりながら眺める太平洋の黒い海面というのは代えがたい感動があるのだが、それを取り巻く人間がその古来より受け継ぐ神聖なる場所を台ナシにしてしまっているこれまた日本の代表的悪習慣である。
まず、「うらしま」というホテルが経営しているのであるが、ここの従業員がアホばっかりで、何を言っているのかよく分からない。
自分たちの中での通称や業界言葉で客に語りかけるので、こちらとしてはそれって何?と訊くのだけれど、その質問に対しても専門用語で答えてくるから、疑問が疑問を呼ぶ火曜サスペンスのようなホラーエコーの大音響に「もういいです・・」というあきらめの心情になってしまう。
まずそのホテルに到着するのに、必ずシャトル船に乗らなければならない、ということを理解するまでに30分かかった。
そして船に乗らなければならない、ということはその船を待たなければならないということであって、日帰り客の私たちにとってあまりにも無意味かつ不利益な時間の浪費がその苛つきに輪をかける仕組みになっている。
向こうの論理としては「うらしま」だから亀の形をした船に乗ってホテルに着けばそこは竜宮城もびっくりの別世界、非日常の世界にあなたをいざないます!ハイお一人様ごあんなーいドンドン(太鼓の音)というサービス精神なんだろうけど、こちらは急いでいるのである。
一カ月の旅程の暇潰し一人旅でもなく、長逗留が目的でもない、つまりほかにも行ってみたいところや食いたいもんがまだまだ列をなして後ろに控えているのである。
歩いたら3分の距離を悠長に1時間もかけて行き来するほど暇ではないのである。
いらつきながらもそこはまあほれ、せっかくなので気を取り直してわーいわーぃと洞窟に入っていくと、そこには期待を裏切る洞窟の岩肌が広がっていて、つまり、USJやビッグサンダーマウンテンもびっくりのヌリカベ式ツクリもの岩肌が露出していて、確かに自然岩そのままだったら危ないというのもあるんだろうけど、急速に私の感動中枢は居眠りを始めて、その塩素くさい循環湯の湯船に痰を吐きたい気分でいっぱいになってくるのであった。
たしかに源泉のいい湯もひとつあったけど、湯船をたくさんつくりゃそれでおまえら満足だろ!という、客をばかにした欺瞞のようなものが濃厚に感じられて、私はやるせない気分でそのホテルを亀さんブネに乗って後にしたのであった。
もちろん玉手箱のおみやげはいっさいなかったのである。


3.大社

熊野大権現に行ってきた。
日本各地に支店を持つ熊野ホールディングスの筆頭株主である、あらゆる熊野神社の総元締めがこの熊野大権現である。
昔から伊勢三度熊野七度・・といわれるように熊野大社には一度は参っとかなあかんやろな・・とは思っていたので、最優先事項のように参ってきたのだけれど、いや、正直いうと、あまり期待はしていなかったのだ、なんて書くと怒られちゃうけれど、実際世の中にある大社と名のつく神社って、その祭神の大仰なネームバリューの割に、というより、それゆえに俗界と離れた積極的超俗の雰囲気があって、参ってみるとその本殿やらに近づくことはまかりならぬ!というふうにできていることが多いでしょ。
諏訪大社も春日大社も大言壮語を地でいくような感じだし、特に伊勢神宮ってホントオレの参り方が間違ってたのかな・・?と思って何度も行ってみたけれど、やはりどこに神様がいたのかよく分からぬまま、アレいまのがそうだったのかな・・?あるいは、今日はココまでよ・・うふん・・という不完全燃焼というのか、おあづけ的な焦らされ感があって、もう二度と行くもんか!と思いつつも、もしかしたら今度は・・という淡い期待にまたヨナヨナ通ってしまうという、これは何かのシチュエーションに似ているなとは思うが、やめられない止まらない男のかっぱえびせんなのである。
だいたい「大」と自分で言ってるものに大したものはないというのは神代の昔からの真理なのである。
そういう意味で、熊野大権現、100段の階段を昇るとそこにはこちら(参拝者)と向き合おうとしない、大社的(本殿をぐるりと囲って入れないようにしている)造りの拝殿になっていて、やっぱりね、とは思ったものの、なんか似たような感じのところ見たことあるなと思ったら、京都の下鴨神社もこんな感じじゃった。
その昔神武天皇が紀の山で迷ったときに道案内した足三本の烏がここの子なのと、その末裔の賀茂氏も当然だけど烏がトレードマークなのを思い出して、昔はよく下鴨あたりに出没していたという何やら運命めいたものを感じた私は、その場で烏の紋様のかっくいいお守りステッカーを購入してすぐ車のケツなんぞに張りつけてなんだか無性にうれしくなった。
ま、思い返せば大社の拝殿なんてその背後にある山や自然を人間が分かりやすいようにスケールダウンさせたもんだからそんなに目くじら立てることはないわな・・と急激に怒りの舵は面舵へときり直し、心も情けも必要以上に大きくなったのである。


4.観光名所

はっきりいって観光名所というところは嫌いだ。
ろくなところがない。
とくに後の時代に観光名所のために作られた観光名所のようなところが実際あるのだが、そういうところは本当に見ていて気の毒になるほどつまらない。
日本のベニスとか、白浜の金閣寺とか、ダムや人造湖、小岩井牧場であるとか、いったいおまえは何者だ?という、それは日本全国に作られて現在では腐敗臭を放つ全国中央銀座連合に似た恥ずかしさとおぞましさがある。
だいたい、日本一大きな橋とか日本一高いビルに行って喜んでいる人の感覚というのは私には理解できない。
パルケエスパーニャやハウステンボスに出かける家族づれというのも、悪いけれどまったく理解できない。
だから旅に出ても、著名で皆さん必ず立ち寄られますよぉというところにはなるべく立ち寄らず、ひなびた水族館や岬の先っちょに行ったりして静かに過ごすことが多いのである。
しかし例外的におもしろいのは寺社仏閣・宗教関係である。
ほんの小さな祠なんかでも歴史の息吹が感じられて興味をそそる。
今回一番すごいなあと思ったのは串本にある橋杭岩という岩の列柱である。
岬から沖に向かってだん!だん!だん!と何本も一直線に岩柱が立っていて、その先に弁天島というインドワニの島があるという天下の奇勝なのである。
潮がひくとその付近まで歩いていけるようになって迫力満点なのである。
伝説によると弘法大師が一夜にして造ったといわれ、夜明け前に橋脚までは作ったけど、おじゃま鬼が鶏の鳴きまねをしたら、「ありゃ・・一夜にしてできなかった・・」とがっくりきて橋桁は造らなかったという、大師にあるまじき中途半端な仕事である。
これに限らず弘法大師って一夜にして塔を立てたり、岩をくりぬいたり、井戸掘ったりするのが好きで、うちの近所には大師が一夜にして爪でお地蔵さんを彫ったといわれる一畳ほどの岩(爪きり地蔵)があるけれど、どちらにしろ、一夜にして何かを造るということに異常なほど情熱を傾けていた人物であるというのはほぼ疑いがない。
それは伝説になるほどだから、当時、大師は日本全国どこに行っても「一夜」の男と指さされていたに違いないのである。
そして実際には何をつくっていたのか?というのは多大に密教的かつ真言的な深くて冥ーい問題なわけである。


5.食べ物

この世に生まれてきて何が楽しいって私の場合、食べることとうんこすることという二大政党世界になっているから、旅行に出た先で何を食うのか?という問題は、親や子供をほっといても考えるべき唯一第一の命題である。
そのため、朝から夜まで動いている間は視覚と嗅覚と触覚をダンゴムシのようにそっち方面にひたすらうごめかしているわけであるから、まあ今回もあまり外れたためしはなかったけれど、一番うまかったのは月並みだけど海のものであったな。
とくに残酷焼きと店の人がよんだ、大きな網の上で伊勢海老や真鯛や冬蠣やその他海のものをそれこそ生きたまま、こちらの食うスピードに合わせて焼いてってもらうという食い方はホント幸せの極致であった気がする。
焼き網からびちびちと飛び出る魚介類をこいつめ!こいつめ!と焼き焦がしていく牛鬼のような食べ方は、偽贖的ベジタリアンには一生分からない感謝と感動の逸品なのである。
カニとか食いに行くと、必ずその「ほじくる」のに真剣になってしまって、人はたくさんいるのにただみんな黙って黙々と食うシチュエーションになってしまうというのが、あまり好きではなくて、できれば「食う」という行為に没頭できる食事がうれしいのであるが、今回のはそんなこと言ってられぬほど、うまいというもおろそかな食材の生きのよさと豪華さであって、しばらくは梅干しとご飯だけでいいなというのが食後の感想であった。
今までも最高!と思う食べものに出会ってきたけど、あそこまで無批判不義理、罪の意識なしに無言になれる食べ物もないと思う。
その食ってるあいだは子供ほったらかしの義母義妹ほったらかしの、偶然相席したサラリーマンのように無言かつ満面の笑みで飯をくってしまい、それも何の後ろめたさもないほど全員の幸せの意識はシンクロして、ある意味宗教的法悦を共有したのが、最後の晩餐のようで楽しかった。

あとあの辺て押し寿司が多いので鰺からサンマ、鯛にあなごといろいろ食ったけど全部おいしかったのは特筆に値する。
子供のいる旅行者にあれって最高だな。
時間とらないし持たしときゃ勝手に食ってるし。
でもめはりずしって何度食ってもお世辞にもそれほどおいしいものではないなと思うのであるが、一ぺん最高級というようなのを食べてみたいがどうなのであろうか。


6.紀根国

さあまとめの時間である(和歌山出身の人読まないように)。
和歌山の大まかな印象って森と海のめぐりあいの土地というところであろうか。
山は衣のごとく幾重にも重なって出口を知らないし、海もみはるかす限り太平洋へと広がってその恵みも果てしない。
とくに春先ということもあって、これから芽吹き膨らみつつある草木や、やわらかく砕け散る海の飛沫を見るにつけて豊かな国だなあと思った。
しかしただひとつ、何やら気になったのが、これは日本全国の傾向ともいえるのだけれど、各地の特色を戦略的にうちだす意識の強さというのか、そういう売り込みに必死な姿勢が逆にその対象たる観光客の興を削いでいる部分があるのではないかというところである。
南国情緒ということでフェニックスを道路ぞいにこれでもか!と植えてみたり、見渡すかぎりすべてミカンの山!あるいは山ひとつ生えてる樹はすべて梅の木!というややファナティックな前のめり姿勢とあからさまなイメージ戦略が私はどうも気になったのである。
それはそれで話のタネにもなり、見ていてぐわははは・・と見目楽しいものであるが、その作り物のような見せ物のような一部「商品」によって、これまで感動したり、良かったなあ・・と思うもの、和歌山のすべてにまで疑いの目が芽生えてしまうというのは防ぎようのない事実である。
例えば白浜って、まるで雪かと見まごうような、ホント驚いてしまうほど真っ白な海岸で、裸足で走るのが犬や気ぐるいのような自然さで楽しいところなのであるが、あれもまさか実は脱色、漂白した作り物の砂浜ではないだろうな?という疑問がたゆたって浮かんできて、そういう痛くもかゆくもないところを探られる恐れがないとは言えない。
梅の木だらけでほかの樹木のいっさい無い山を通ったときカグワシイ匂いがふわふわと風に運ばれてきたけれど、それとて近所で梅の香を焚いて扇風機でブンブンまき散らしていると言われても否定できない何かがそこにミリ単位のあやうさで生じてしまうわけである。


大阪に帰ってきて、下道の渋滞にうんざりとした後、久しぶりにさっぱりあっさりのもんでも食うか!ということで以前から気になっていたうどん屋に入ったのだけれど、久しぶりのことで鉄則を失念していてヒドイめにあってしまった。
その店は「手打ち」と書いてあって、店の作りもいい感じに古びていて個室式になっていたのであるが、私は大阪の「手打ち」うどんは食ってはいけない!という第一法則を意識的に忘れてしまったようなのである。
讃岐や上州などで「手打ち」というのは品質保証であるが、大阪では「家で食うウドンと同じ」という意味を表わす言葉なのである。
食べてみるとやはりやっぱりきっちりの、何を手で打ったのか?といううどんであって、いわゆる観光地の名物式の張りぼてのうどんであることが判明したのである。
スーパーで一袋30円で売っているようなゆでうどんをずるずるとすすりながら、私は、和歌山の美味しものどもにはこのようなコマーシャリズムに汚染された「商品」になってほしくないなあ・・とつらつら思いつつ、湯気の向こうにかすむ我が娘などをぼんやりと眺めていたのであった。





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