海洋空間壊死家族2



第73回

清算   2005.5.11




宇宙の不定点で
雲を投げて
あなたかなたの影を
めくるめくしゃくりからめとるの



そういえば日本の社会全体の雰囲気としてわかってないようなので一応言っておくと、日本人の寿命はこれからどんどん短くなりますよ。
ほんと日本人て同一性オプティマな民族だから、隣んちがすき焼きだからウチも今日はすき焼きにしましょう、とか、今日は松井がホームラン打ったからおれももう一回頑張っちゃおうかなとか、おまえ100までわしゃ80まで・・というふうに個々人の都合や特徴というものを極力廃しながら、周囲の環境、他人の事情を一人称へと取り込んだ上でものを考えてしまう傾向がある。
なので、ただいまの平均寿命が80を超え世界一なんて言われると、まあどうしましょう、定年後に20年も生きるなんて最低でも1億円の蓄えが必要だわ・・趣味の世界や心の準備も必要なのだわ、そわそわ・・というふうになってしまったりする。
ちょっと待ちたまえ。
82歳まで生きているのは君ではないのだよワトスン君。
世代ひとつふたつ前の年寄りがいま、世界で一番長生きをしているのであって、それが自分にも当てはまるなんて見当はずれもいいところなのである。
ゴルゴ読みながら眉間にしわ入れてるトレンチコートのおっさんとか、ロックコンサート客席でノリノリの擬似アーティストや、医者の女房が何様的にえばりくさってるのとか、そういうあさましい換骨思想と同元でちょっと恥ずかしいですぜ。

世界保健機関によると2005年現在、日本の平均寿命は82歳で世界一なのだそうな。
たしか数年前からずっとトップだった気がするけど、しかし言ってみればここら辺りが日本人寿命のピークなのであって、実際にはこれからどんどん死亡年齢は低年齢化していって、高齢化社会なんて言ってられなくなるのも時間の問題なのである。
考えてみれば今の老人どもが長生きするのは必然である気がする。
話を聞くと話半分にしてもそれは現代に生きる我々とは比べ物にならない運動量と質実なる生活と食事を継続してきているのが大半の人々である。
一年に一度のマラソン大会でさえたらたら走ってしまう人間と匍匐前進で何十キロも進んでしまう人間との差。
夜9時までに寝てしまう人間と午前3時に眠り出す人間との差というのは感じる以上にあるはずである。
彼らはこの飽食の時代にさえ生ゴミのほとんど出ない、煮豆や煮物の生活をしている。
おそらくマクドナルドは食べたことはあるまい。
カップラーメンも食べたことはあるまい。
いってみれば我々現代人とは異なる文化の異なる民族なのである。
そういう人たちが82歳まで生きたからといって、はい自分たちも80歳まで生きるのでこれから大変ですよう、という短絡的な思考はまったく誤りであることを知るべきである。
実際には私は平均寿命はすぐにでも70歳を切るだろうと思う。
特にろくな生き方をしていないと思う人は要注意で、私なぞはたぶん60歳がいいところであると思う。
同じような意味でこの連載を未だに(現時点で)読んでいるヒトというのもろくな生き方でないと推測されるので、まあ手早く店じまいするテミジカイソギバタラキ人生と考えて間違いあるまい。
そしてわれわれ非ろく人の予想平均寿命を現在の割引価値に換算(てただの引き算だけど)すると、なんと残された時間はあと30年もないのである。
地球滅亡までヤマトの諸君に残された時間よりも少ないのである(印象的には)。
えー私が言いたいのは皆さん、寿命80年前提の定年後長期休暇におののきながら定年まで必死こいて働いてると、働き終わったところで人生までぽっくりこと終わってしまいますぜということなのである。
そしてそれはまた翻って自分の身にもひしひしと満潮気味に迫っているのである。
その限られた時間というものを何に割り当てていくかというのはその人間のセンスそのものなので、割合真剣に考えてしまうのだが、ここで結構迷ってしまう点がある。
このあいだこの短命話を或る人に話して「じゃあ何する?」と尋ねると、「Jリーグの監督になる!」なんていうことを平気で言い出したりする。
あるいは「お金持ちになる!」なんてことを言い出す人もいてなんだか小学生のノリに近いものがあるのだが、そうばかにもしていられない。
どんな人間も実生活からは逃れられないから、まあ30年のうち大半はそう楽しくもない多分に他律的なる「仕事」に当ててしまうのが実情である。
だとすると自ら割り当て可能な時間というのは本当に少なくて、一体それだけの時間で何をするのか?・・という醒めた現実感が先立ってしまい、そこからの逃避にも似た先ほどの小学生夢日記のような夢想に収斂収束してしまうのである。
つまり残された時間をどうするかと言われて、日々の延長で満足するか、まったくの飛躍を実行するかという二者択一的な問題がそこに根深く存在しているのである。
そして通常考えられる選択肢としてその二つのすり合わせを必死に行っていくというのがこれまでもこれからも続く人間の業のようなものなのであるな。
んでヒトのことはまず放っといてさてワタクシめは何しようかな・・と考えたとき、想像つくけど、やはりやっぱり、@旅に出てAうまいもん食ってB温泉入ってC酒飲むという黄金の四足歩行が地響きを立てて迫りくるのである。
まあ逆に私の場合、無制限で何してもいいと言われてもこの4つをサルのように続けるような気もするのであるが、事実、それを裏付けるように、常態的に働いてる割りにはこの中長期計画については堅実にこなすこと風のごとく、今まで入った温泉は覚えてるだけでも軽く50は超え、まあうまいもんとうまい酒についてはそんじょそこらの人間には負けず嫌いなほどイイもんを飲み食いしている。
結論から言うと今のペースで行って最後死ぬ前5年くらいラストスパート的に集中治療室に入りたいのだけれど、その原資を得るためにいま必死こいて働いてるといっても過言ではないのではないか。
そういう意味で鎌倉時代から数えて私で三十数代目といわれるわが一族(清和源氏な)もこの代で消散する予兆というものもある。
この人生目標が地に足ついてるかどうかというのはまったく外からの判断によるのだけれど、Jリーグの監督なんてのから比べたら、まず許される、実体的かつ控えめなラインではないのかな、と一人ごちているのである。
通常のラインて一体どんなものなのでせうかね。
聞きたいのだけれどJリーグじゃあなー。





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