海洋空間壊死家族2



第69回

震源   2005.2.23



ウスターソースを飲み干して出かけよう
そこにはさかしらの退屈象はもういない
けつまづく足をふりきって
群がる水草を蹴散らかして

さあ1/3ほど残ったウスターソースを飲み干して
約束の乳流るるあの土地へ出かけよう



ここのところやけに地震が多いなーと思うのは私だけではないはずである。
私が小学生だった頃(20数年前)というのはそういう大地震のニュウスというのはあまり聞かなくて、今から考えてみると比較的穏やかな時代であったようである。
奥尻、根室沖、阪神、新潟と大型の地震が襲来し、有珠、三原、雲仙普賢岳に続き浅間山も噴火し、さらには関東東海、南海の各プレートもアブナイゾお・・と言われるともう気の小さい私としては、日本列島が周期として不安定な時期に入っていて一種の更年期状態なのではないか・・という感覚が充満しきってしまっている。
一説によると富士山もそろそろ噴火するらしい。
この調子でいくとこれから10年くらいの間ひっきりなしに大地震が続くのは明白なので、かしこい母さんはかっぱえびせんなどをリュックに入れておくがよろしのである。

地震のことを日本では古くから「なゐ」といって恐れていたのであるが、この「なゐ」はなぎ倒すという意味、古語的に言うと「薙ぐ」から来ているであろうことはほぼ自明である。
草薙の剣なんていっても一休さんのとんち話さえ知らないような今時の若い人にはわからないかもしれないが、つまりそういう事態のことである。
一般的には「な(地面)」が「ゐ」ると見るようだが少し苦しい。
現代でなぎといえば「凪」のことで、釣りをする人なんかがオオソレミイヨと叫んでしまう、海原水面がしんとしてしまう一種の静寂状態であるが、この凪も、もとはといえば、なぎ払われた後の何もかもが破壊された物理空白的状態を表しているのであろう。
今でこそ穏やかな状態を指し示す言葉であるが、言葉として誕生したてホヤホヤの頃はそれは恐ろしい絶望と虚無の感覚を表したであろうことは想像に難くない。
たとえば、朝の湖というのを皆さん見たことあらうか。
湖というものは日本全国朝になるとなぜか凪ぐことが多く、薄暗い冷たい空気の中、一点の曇りもなく、なめらかなアマルガムのように粛然とした湖面は神々しくもオソロシイ気配がする。
まあこの安心平和ボケ日本において実体としての「なぐ」という状況に遭遇することはまったくマレ、というか一般的には一度もないと思うのであるが、しかし阪神大震災のときあの辺りにいた人はまさにコノ「なぐ」という感覚に包まれていたのではないかと推測するのである。

地震といえば、古くからの言い伝えでいうとナマズが暴れると地震が起こるとか、要石を動かしたりすると地震が起こるとか、土地それぞれに言い伝わっているのだけれど、そういう現代科学としてはばかばかしいようで一見関係なくても、微妙な気脈の通じ方が互いに影響し合っていて、ある小さな一変化がある地点方面に重大な影響を及ぼすというような、つまり風が吹いて桶屋が儲かるというようなことも、生活上の実感として「あるんだろうなあ」という気がする。
たとえとして正しいのかよくわからないが、私の勤める御堂筋長堀の辺りにある「日航ホテル大阪」という建物。
大阪府建築なんたら賞受賞(定礎のところにそう書いてあるのよ)の血統のよさそうな建物であるが、これが血統の証左か知らないが、普通の形をしておらず、一言で言うとお好み焼きを食べるてこを100枚重ねたような形、簡単に言うと長方形の建物にスカートをはかせたような「スカート付」の形になっておる。
しかもそのスカート部分(1階)は完全に東西ふきぬけ筒抜けになっており、風の通り道として絶好のコンディショナアなのである。
その結果、その周辺の空気の流れというものは明らかに通常ビル群街と異なるウズ巻きサカ巻き方をしておって、特に冬に大阪湾岸の方から強い風など吹くとそこは超電磁竜巻も超電磁スピンも及ばぬ、吹き荒れるゲームセンターあらしのようなエレクトリックサンダー状況に陥り、路行く人の髪の毛はおどろおどろとみだれ狂い、鋭い砂塵とイチョウの葉っぱは鼻腔を中心とした顔面領域目指してカミカゼ的特攻をかけてくる。
その辺を通過する若いお姉ちゃんなどはとりあへずスカートの裾などおさえつつ、私などはとりあへずシャッターチャンスを逃すまいと血眼になったうえで砂埃による結膜炎を併発する、とまあこういうような迷惑な話になっておって、通常、付近住民には「日航おろし」などと呼び習わされて恐れられているのである。
そういう事例を見るにつけても、大自然の摂理というものは人知の及ばないような僅かな条件で大きく決定付けられているのであると思わざるをえない。
つまり水脈や気脈や山脈による結界に守られる護法都市「京都」もある程度正しい知覚であろうし、「ここにおいてあった石をどけたなあ!?・・祟りじゃあ・・大地震がやってくるぞおう!」というようなことも十分ありえるのである。

そういう条件反射的な自然のしっぺ返しなどはともかく、当事者にとってはさしあたって地震が予測可能か不可能かという問題がある。
しかもそれは古いようで新しいハナシで、比較的最近でもその辺の議論は活発に行われているらしいが、どうも最近では「予知」は不可能であるから、災害後の対策や、インフラの整備に力を入れるべきである、という論理が「官」を除いては優勢かつ主流であるようだ。
「官」としては既成の組織と予算を以って地震予知を目指して何十年もやってきているから、いまさら後戻りできないという現代日本官僚社会にありがちなショーモナイ姿勢であるから、学会マスコミはそれに批判する狙いも込めて災害「後」対策を声高に叫んでいるのである。
しかし「官」に味方するわけではないが、私は「地震は予知できる」と断定する。
しかもそれは比較的簡単に実現すると思われるふしがある。

もう10年も前になるのだろうか、阪神大震災のとき、ちょうど私は京都で学生をしていた。
生まれが群馬なので京都に来て何に驚いたって「冬のカミナリ」と「地震の少なさ」である。
私の故国では「カミナリ」というものは夏になると必ず毎日やってくる「夕立」のときと決まっていた、つまり「カミナリ=夕立/mc」という法理が信じられていたので、冬にカミナリが鳴ったときはこの世の終わり、世紀末の天使のラッパかと思った。
逆に北陸なんかでは冬のカミナリこそが普通で、現地では雪オコシとか鰤オコシとかいわれているらしいですな。
一方地震は週に2、3べんは起こるところなのでまったくびっくりするような現象ではなくて、逆に京都って地震がないんだなあと思った。
火山のある地域というのは比較的小規模な火山性の微弱地震が頻繁に起こるけれど大きい地震というのはほぼないといってもよく、浅間山、白根山、赤城山、榛名山など重たそうな山山に囲まれた毛の国でも有史以来大地震が起こったことはないのである(その代わり溶岩や土石流が流れてくるんだけど)。
震災の日、たしかその夜は深夜1時か2時くらいに就寝。
大学1・2年と経て取得単位が0=ゼロだったので、いくらなんでも「これはまずい・・」と講義にまじめに出るようになった頃で、通常なら太陽が東山の端からカオを出す頃に眠りに就くのであるがその日は暗いうちから早々と寝ていたのだ。
まず地震の発生する30分くらい前だったか、暗がりの中(ほの明るかった気もする)突如急激に起床し、愛用のムラサキリュックサックを手にして玄関から外に出た。
このときはまったくの夢遊状態といってもいい状態で、外に出て数歩歩いた時点でハッと我に帰り、アレオレ何してんだろ?? ・・と下宿にとって返し、もうなんでよ! と誰にともなく怒って布団にもぐりこんだ。
言っておくが私はいくら酒を飲んでも就寝後に夢遊状態には陥ったことがないのである。
そのうち周囲が非常に騒がしくなっていることに気付く。
ともかく鳥類がうるさいのだ。
多分他の動物や虫も激しく蠢いていたのであろうが鳥、特に目立つのはけたたましくぎゃあぎゃあと喚くカラスだったのだが、ほかの鳥もピーチクパーチク、人の寝静まった夜更けに戦慄のけたたましい雄叫びを上げていたのである。
あらあら俺が起きたくらいでそんなに騒いだら近所迷惑でしょう・・とおろおろ気遣っていると、10数分後その揺れは南の方角からやってきた。
私は銀閣寺から歩いて10秒の場所に住まいしていたのだが、明らかに異常なゴオォォォーッという低い音が平安神宮・黒谷方面から白川沿いに聞こえてきて、おっおっまたラッパか? と思ってるうちにその下宿、あずまや自体が激しくゆれ出した。
その建築物は土塀木造二階建てで、池田屋騒動のような歴史的遺築物、つまりはボロっちい土蔵だったからその揺れはすさまじく、部屋を横から見て正四角形だとすると揺れは東西に起こりその四角形はまさしく鋭角的二等辺四角形に変形し、右、左、ワンツーワンツーとまるで上等な絹ごし豆腐、あるいはハウスゼリエースのように揺れ揺れた。
その鋭角θ=0°になった時が私の命の灯火の消えるときであったのである。
事前に目は完全に冷めていたのでいろいろ判断していたのだが、隣に棲む盗人 三木が先に素早く外に飛び出してしまったので(さすが盗人)、犬猿の仲の私は出るに出れなくなり、運命をこの土蔵と共にする! と戦艦大和の如く決断した私の瞼には、去りし日の楽しかった思い出が走馬灯のようにくるくると駆け巡ったのであった。
結局私は生き残って、しかも3時間後には学校の講義にも出てウイスキーなど昼間から飲んでいたのであるが、あれほどの被害になったのを知ったのは、まったく次の日の朝のテレビであった。

この体験で思ったのは人間の本能や自然知覚能力もいまだ捨てたものじゃないなあということと、さすがはカラス、ということである。
震源の淡路から京都まで地震が伝わるのに何分かかったのか知らないが、30分かかるということもなかろうから、遠く離れた土地でも事前に察知できたと思って不自然ではないのである。
つまり震源地ではもっと明確な示唆を含んだ事象が発生していたはずである。
人間を含む動物に何かしら変調が起きていたというのはよく聞く話である。
それを生かさない手はないと思うのであるが現在の予知予測手法探求は別のベクトルを向いているのである。
地震の初動の動きを捉えるとか、地震の周期的、あるいは直前の癖をつかむとか、しかしそういうのは感覚的に科学の進捗として100年は無理という気がする。
そんな学者が好きそうなところでなく、カエルやネズミの事前行動の観察の方がよほど役に立つし成果が早く出ると思うのだが、カエルやネズミやカラスが感じ取る何かを人間が直接感じたい、論理的に解明したいという知能欲求に負けてしまっているのが実態である。
上等生物のプライドにかけてナマズやカラスを受容体アンテナにするのはいやなんだろうな。

しかしそのような生き物等を利用して、実際300分前に察知して何ができるかと言われればそれまでであるが、それはそれ、心の準備もあるだろうし、電話で最後のお別れでもしようものならばその被害主体・客体の思いもすっきりしたものになるのである。
少なくとも真冬のシャワー中に地震が突然くるというような身の毛もよだつ事態は避けられるのである。





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