海洋空間壊死家族2



第64回

売僧   2004.12.3




胡桃を箸置きにして
漆塗りの吸碗に石榴転がす

不器用な幼児のやけっぱちの破戒の後
大脳の渓谷に赤く
ほっとしたような
濃厚にどす赤い果汁がとくとくと染みわたっている



人のふり見てわがふりなおせなどという前近代的な言葉を持ち出すまでもなく、現代日本の周囲の基本的環境というものはドブ板化し、かつ世の有象無象どもの所業一般というものはいちいち覚えていられないくらい我が世界標準から見てあさましく下劣なものに変化してきているのだが、しかし「こうなったらおしまいだな・・」という我が心の石灰ラインというものがあってそこを踏み越えるかどうかというところが人生の一大事であるかのような、行動様式・思考回路の限界的一線というものをどんな人間でも瞬間瞬間に無意識に設定して歩んでいるというのはまあ納得される感覚であろうと思われる。
たとえばそれは道徳や倫理的規範のような堅苦しいものではなくて「納豆に砂糖をかけて食べるようじゃ彼ももうおしまいだな・・」というような趣味嗜好に関する偏見のようなものから、「この横断歩道の白線をもし万が一踏んづけてしまったら、おれ、一生女の子と手をつなげないだろうな・・」なんていう狂信妄信のファナティックなものまで、様々な自己ハードル的な制限というものをあくまで自律的に抱えて人間は生きているのである。
しかもさういう設定ラインというものは、まったく刹那的に変更、再設定されることを宿命としており、今までの縛り、誓いは何だったのだ・・という幻滅と茫然自失の裏切りを自分自身に対して感じるというのはもはや日常を通り越して肉体の一部と化している場合もある。
それはまるで「ハリセンボンのーます」というような形骸化した不文律に、当然のように違約を認めた欺瞞の契約の歴史にも通じるものがある。

いや、若いときはそうでもなかった。
少なくとも自らに化した自尊的矜持をかけた誓いというものを比較的持続的に維持していられたやうな気がする。

たとえば、このあいだ車を運転していて、広い歩道があるにもかかわらずその下、つまり車道をふらふらと運転している中高生的自転車を発見して「てめえ!そんなに死にたきゃぶっ飛ばしてすっ飛ばしてぶっ殺してやるぞおぉうっ!」と右足に力を込めたのであるが、そのときフと自分が高校生の頃というのを思い出してしまった。
当時高校に自転車で通っていた私は、その頃から酔っ払いのケがあってしかもパンク少年だったから、ガードレールと段差に守られた「歩道」という小径を、言われるがままに自転車で通るということが本当に息苦しくて、それはまさに世界や権威に対する降伏と恭順の意思表明である!というような妄想を抱いていたから、日本男児たるもの国道でも県道でも、自転車でも匍匐前進でも、必ず車道の白線の外(つまり車の通るところ)を通行すること!という規制を自らに課し、さらには中央分離帯を通行することを自らに義務付けていた時期もあったのである。
しかもそれは自転車に乗っていた青春の時期すべての時代に通底して守られており、何度も車に当てられたが、しかし私はそれを訴えもしなかったし(訴えても負けるわな)、めげもせずそのアウトラインの走行を続けていたのであった。
国道17号線という今見るとまっこと恐ろしげなる片側3車線程度の幹線道路が関東地方にあるのだけど、そこで何度自転車ハンドルを乗用車のドアミラーに引っ掛けられたことか。
往時は当て逃げ同然の日産グロリアに吠えついて、ぱんぱん!(愛用のコルトガバメントの音)とモデルガンで敵の装甲に凹みをつけてやる勢いがあったが、今だったら一度すッころんだ時点で、ま、今回はこれくらいにしてやるか・・ぱんぱん(ズボンのすそをはたく音)などとのたまいつつ次からはおとなしく歩道側を走るのは目に見えている。
そういう意味で持続する心の怒りと叫びのエネルギーというものが年々弱まってきているというのは否定できない事実なのである。

これに付随して、似たようなので「これをしたら人生おしまいだな・・死んだほうがましだな・・」と感じていたことというのを思い出したので、いくつか書き出すと、

お金を欲しがる
家に鍵をかける
自分に保険をかける
ドリアンを美味しく食べられる
豆腐(こんにゃく)等の味のない(と思っていた)食べ物をおいしくいただける

などなど・・・・、他にもここには書けないようなことを自らへの禁忌の烙印として焼きつけ、つまりそれをするくらいなら死んだほうがまし!と思いながら生きてきた。
しかし、実際には今挙げた中でいまだ守られているのは保険とドリアンくらいである。
人生はそれくらいではおしまいにならなかった、というのが実に悔しくて、情けない。
現在の自分を鑑みるに、お金はまったく喉から手が出ておいでおいでするほど欲しいし、出かける時はズボンのチャックやアメックスなんかよりも数段上の確実性をもって家の鍵を閉めている。
大学生の頃から始めて、会社に入って少しの間まで、結婚するまでは、決して住居に鍵をかけなかったから、当時久しぶりに部屋に帰ると明らかに私以外の何者かがそこで生活した痕跡を残していることがあり、それはまるで山小屋に寒気を避けた狐や鼬の類を見付けるのにも似た複雑な感覚を味わえるものなのであるが、しかしそれに伴う危険や不快感というものもわが人生の誓いにとって必要不可欠の生贄のようなものだったのである。
その頃の私は聖人のような思想体系をしていたのであるな。
また、豆腐なんてのも、このあいだもある製薬会社の人と「豆腐が美味しく食べられるようになったらおしまいだなぁ・・」と語らいつつ豆腐屋で2時間ばっかし豆腐をつついてきたところである。
つまるところ過日誓約されていた戒律の半分以上は破戒されており、つまり過去基準でいうならば「死んだほうがまし」な人間になってしまっているのである。
10年前の自分が今の自分を見たらまず間違いなく自殺してしまうであろうと思われる。
このような事象を見るたびに私は思う。
大人になるということはこういうことか、と。
所詮その人生を通じて、人間は今現在の自分の極限を限界を言い訳するために自らへの戒律、規制を構築しているに過ぎないわけである。

そういう意味で、ほんっと宗教ってくだらないなあと思います。
あれは恵まれない人と恵まれすぎた人の言い訳の最大公約数であるな。
つきつめれば我が戒律にも似て一時凌ぎの言い逃れに過ぎないのである。

そして私はといえば、俄かには肯んぜられない未来予想ではあるが数年先には、街を歩きながらくちゃらくちゃらとガムを噛んだり、電車の中で髪の毛をくしけずったり、携帯の着信音を宇宙刑事ギャバンの変身BGMにしたり、果てはビックリマンチョコの「シール」のみ引き抜き、ウェハースチョコをゴミ箱にポイッと放ったりしているのであろうな。





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