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第55回
鎮魂 2004.8.26
私が死んだとき
重力は下垂線となって豪雨のようにひしめきたち
圧延板がひきのばされ、ちぎられるような軋みをあげて
そこへ時間=空間のドミノたおしが始まるのであろう
証明写真を撮る自動機械というものがいつの時代から現れたのかは知らないけれど、あのカーテンの向こうの一人掛け回転椅子で何が行なわれているのか、どのような人間がどのような意図をもってどんなドラマを繰り広げているのか・・!?、不安と期待に胸を高鳴らせるようになったのは小学生の頃だったか。
あの腰掛空間は私にとって子供の頃に見たゲ−ムセンタ−や中央銀座にも似たいかがわしさと禁忌に満ちた場所であって、ややもすると18禁の映画館のような淫靡さも兼ね備えた大人の牙城であったといっても過言ではない。
その頃私は証明写真というのは、なにか心身、あるいは人間関係に支障を来している、またはその他事情のある人が、「私はこの時間にこの場所にいましたよ!」という証拠を保持するための証明のための写真だとなぜかかたくなに思い込んでいた。
たとえば、出張と称して女と遊んでるという疑いをもたれている(ややこしいな)世のダンナが「な、な、ちゃんと仕事してきてるやろ!」というふうに奥さんに提示したりとか、外回りの営業をしている営業マンなどが「部長はそういいますが、私はほら、ちゃんとこんなに広範囲にわたって営業活動をしてるんですよ、悪いのは私じゃなくて、このポンコツ機械WF-2なんですよー!」というふうに、その時刻にその場所にいた!家政婦は見た!コピーはミタ!という遠山桜の現場確認目的を持つ人々のためのつおーい味方がこの自動証明写真機械である、とまあそう思っていた。
だから、そこに親切かつ親身で、それゆえおせっかいで人の私生活に興味津々のオバちゃんカメラアシスタントの補助などが介在してもらっては困ってしまう。
そういうウザったくもハバったい私情がさしはさまれない「自動」証明写真は高度成長期における日本地方都市には不可欠の装置だと、そういう理解でおったのである。
一応言っておくと、もちろん今ではその正しい意図、目的を理解して正しく利用したりもしている(間違った使い方してたら恥ずかしいので書かないけど!)。
同じように子供の頃にそう思い込んでいて、あとで大人になってから間違いに気づいて、すっきりする、しかしなんだかいろいろな夢が破れていく、という経験は誰にでもあると思われる。
まず電車が「ふつー」になるという表現はややこしいと思う。
むかし、台風や大雨で首都圏の電車がノキナミ「ふつー」になるニュースを朝から聞いて、そうか、もう「普通」になったので営業再開するんだな、そして世のオトーサンたちは仕事に行かなあかんからアナウンサーも気を遣ってトーンをさげてあまりうれしそうに発表しないんだな・・、そのワリにはうちの辺は今から台風来るみたいだけど大変だな・・と思っていた。
つまりソーネチカとソーニャが別人と思って読み進んでいた『罪と罰』を半分くらいまできて2人が同一人物を指しているとわかったときのような、さらにはソフィアという女の子も同一人物だった!という途方もない徒労感ととりかえしのつかなさを近い将来感じる宿命にあったのである。
さらにどんどん恥ずかし告白をしていくと、サラリーマンというのはサラ金してるヒト、つまり市場乖離利率の火達磨自転車操業の借金をしている人だと思っていた。
何によってか知らないが、たぶん火曜サスペンスあたりだと思うのだけど、サラ金という言葉をサラリーマンという言葉よりも早くまず覚えたので、サラリーマン=サラ金をする人、と独り合点をしてしまっていたのである。
その頃「サラ金」というのは、「フリン」という言葉と並んで、もう圧倒的に良くない人間が圧倒的に良くない方向へと転げ落ちていく様子をあらわす禁断代名詞のひとつであった。
その悪イメージから逃れるためか、最近じゃ消費者金融と言い換えて、だいじょぶですよっ!なんて励ましているけれど、あの宣伝に出ている人間の行動(休日出勤して空を眺めて借金を思いついてるあたり)を見ているとまったく大丈夫ではなくて、やはり実体はあんまり変わってないようなのである。
そういうサラ金人間イコールサラリーマンと思っていたわけだから、母親がよその人を「あそこはサラリーマンだよ」なんてヒソヒソ(そう見えたのよ)言うのを聞くと、そんなの言わなくてもいいじゃんか!と義憤してみたり、または、ウチは父親がサラリーマンじゃなくてよかったな・・とホッとしてみたり、まあ小学生のワリには気ゼワシクそれなりに忙しかったのである。
今じゃ自分がサラリーマンになってしまったけれど。
また、『北斗の拳』のオープニングの歌(クリスタルキングのヤツ)で「〜You
are shock !〜」というところがあると思うけど、この解釈を「あなたはサメーッ!」と思っていた。
「Spring has come.」を「バネを持ってこい」と訳す英語力よりもまだ小学生のワリには理解が深かったとはいえる(かな)けど、ショックをシャーク、サメと理解していたのだ。
これは言い訳しておくと、その頃お気に入りだった保坂さんという女のコが知ってか知らずか、そのように私に講釈をたれたので、その頃までは純真だったワタクシは、そうか、サメなのか・・たしかにサメのような人間が愛の対象だったらオレの鼓動も早くなるし空も落ちてくるわなあ・・とまったくドキドキしながら信じ込んでしまったんである。
幸い今までキツネザルのような人間とは付き合ったことがあるけどサメのような人間とはどうこうならずにきているのであるが、小さいときからすでにして女というのは魔性の生き物である。
中学生になっても盲信癖(勘違い)はおさまらず、阿藤先生という学年主任の先生が朝礼などで何かあるたびに「黙想!」と号令して我々にそれを強いていたのだけれど、その頃「黙想」という言葉を知らなかったから、あらあらこの人はまた何か不幸せがあったのか・・それに理由もわからず付きあわされるヒトの身にもなってくれい・・と生意気にも思っていた。
私が思っていたのは「黙祷」。
まあ今では黙想という言葉も逆に聞かなくなったけどな。
今じゃ言わないといえばカウチポテトという言葉が世に出回った頃、あれは高校生の頃だったかいのう、青春まっただ中のワタクシは、カルビー、ナビスコに続くポテトチップス第三勢力の出現か・・と思っていた。
えーつらつら書き連ねて何の結論があるということもないけれど、世の人々も、生まれてこのかたこれくらいの勘違いはおかしているのだろうなあと思いつつ、実際私がなんでこんなに大量のコトバ違いをおかしてきたか・・と考えたとき、それはやっぱりヒトを馬鹿にしている、つまり謙虚さが足りない、というところに行き着くような気がする。
思い込んだら、それが間違っていようが何であろうが、命をかけて理論武装して排他墨守していくというのがその傲岸不遜かつ唯我独尊の生き方なのである。
そこに接した親切なヒトも、あるいは去り、あるいは諦め、私自身詰まるところで何か方向を誤ることもあったような気がする。
それによって得てきたものも大きいが、失ってきたものも小さくないということを再確認しつつ、失われていったであろう私の小さな幸どもの、そして同じような人間によって失われてきたであろう幸どもへの、これはそういう大きな塊への、レクイエムである。
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