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第48回
検体 2004.5.28
西に枕向けて眠れば
冥界より知遇むら出でて
うるさくて首なぎて蓋する
北に枕向けて眠れば
あさましき魂の起き起こり
獣がごとく攣童を凌辱す
夜半目覚めて虚空凝視すれば
異貌のやまいぬ炎とともに
死体に群がりて
音を立ててむさぼりぬ
わがちちおやをむさぼりぬ
このあいだ31歳の誕生日を迎えたのだが、まあこれといった感慨は30になったときと比べて、無い、というのが事実である。
30になったときは何となく小高い丘の天辺にたどり着いてしまったような、これからはじまる老化と爛熟へのスタートラインのような寂しい気分がおそい迫ったのであるが、31歳というのはその緩やかな坂道を下り始める第一歩、ま、こんな感覚だろうなというまったくの予測可能な経過状況的「歳」である。
自分が子供の頃30歳なんつうのはホントおっさんおばはんにしか見えなかったけれど、今となってはその幼児の視線も遠くに置いてきてどうでもよくなってしまっているというのはあきらかに寂しい心象風景である。
しかも、だからといってそこから離れた新たな価値観が現れてそれを握り締めて立っているという状況にもなく、つまり30代というヨワイはこうしてよんどころなく過ぎていってしまうのだろうという予感に満ちている。
そしてここでみはるかすその死への旅路の遠望の胸中にただいまふと去来しているのが「保険」という単語である。
こんなところで告白して心の動揺を見透かされるようで恥ずかしいのだけれど、私「保険」というものにまったく入っていないのである。
もちろん車の損害賠償保険や家屋の火災保険には入っているのだけれど、それ以外の怪我や死亡に対するというのか、そういう一般的にいう「保険」というものに入っていないのである。
これは私くらいの年齢で、しかも妻子持ちの日本男児には、「あってはこまる・なくてもこまる」という類の大問題であるようなのだ。
その辺の何も考えてなさそうなOLにまでエーッありえなーいと驚かれてしまう自分が少し恥ずかしく、少なからず不安になってくる。
だいたい、あの、ヒトの不安をあおってそれを糧に生きる、傷口に群がる吸血虫のような生命保険業界というのは私にはなんともそら恐ろしい人種のように見えるのであるが、しかし、この歳になって少しも不安がないというとこれまたうそであって、見事に術中にはまっている気分が腹立たしくなんとも複雑な胸中なのである。
まず周りの人間にも言われるのが「自分が病気や怪我になったとき大変じゃろ、家族に迷惑じゃろ」という話であるが、皆さん、我々はすでに健康保険という高額かつ厚遇な保険に入ってるのをご存知じゃろか。
「保険証」といいならわされている、医者に行くとき誰もが持っていくあのカミキレね。
この健康保険に入っていると、医療費支払上限があるから、簡単な話、どんな大変な病気になっても一家庭で一カ月に支払う医療費は7〜8万ですんでしまう、それ以上は不要であるという事実である。
例えば300万円するような大手術をして一ヶ月入院しても、お支払いはなんとたったの10万円程度なのである。
差額ベッド代や、看護婦(士)指名料支払いなんぞという医者と欲望の言いなり治療をしていたらこれは適用されないのであるが、普通に慎ましやかな治療を受けている限りこの上限ラインは総理大臣でもホームレスでも変わることのない基準であるから、かなり普遍的な数字なのである。
そしてさらに一般的には(一部閣僚級のぞいて)大抵の人は、国民年金、厚生年金に入っているから、何かしらの原因で保険者が死んでしまうと、遺族年金というありがたい援助金が家族、とくに子供の残される家庭に支払われる。
これはこのあいだ社労士志望の友人にいろいろ訊いたんだけど、勤め先や家族構成にもよるけど汚い話、死んだとき1000万円は軽く超える金額の金が一時金で入ってくる上、毎月10万円くらいは貰えるから、さらに母子家庭のいろいろな控除を含めると世帯主には死んでもらったほうがありがたいというような話にもなりかねない厚遇である(サラリーマンの場合さらにいろいろな特典が目白押し)。
そのような条件を考えたとき果たして民間の保険というのはいったいどのような費用対効果があるのか、どんなエサと巧言令色で我々に向かってくるのかという新たな興味ステージに突入してくる。
実際には私は保険屋という商売の人々を蔑み憎んでいるからそういう話には疎くて、まったく金額や補償の話は分からないのだけれど、例えば一カ月1万円の保険料を支払っているとする。
保険掛け金は一年で12万円支払いの10年で120万円。
これをペイしようと思うと最大限医療費支払いの起こるような手術を10年のうち都合1年間12カ月毎月繰り返ししてもらわないといけないのである。
一年単位でいうと、300万円クラスの大手術を毎年一回、10年間続ける羽目になる。
そんな病気があるのであろうか。
あったとしてもそれはそれで死んでしまったほうが楽なのではないか。
そしてその保険業界の態度としては、これは本当に人を馬鹿にしたというのか、人をヒトと思わないというのか、どうにかして支払いをしないようにというのが彼らの仕事の内幕であるから、えげつない活動と行動をおこない、ある知り合いなんかまじめに保険料30年間払ってきて、仕事で指を切ってしまったとき、なんやかんやの理由をつけられてビタ一文貰えなかったのである。
肉体労働者の肢体と言うのは何ものにも替えがたい生活の糧であるのだが、何の補償も受けられなかったらしいのである。
これは和歌山のカレー砒素事件なんかを見ててもわかるけれど、保険業界の内輪で儲けている人と、その輪の外で保険料だけ払っている人、という構図ができていて、ピンポイントでいくつかの構成要件を押さえないと何か起こったときでも保険金支払いは受けられないようにできている。
逆にそれさえ押さえれば、いかようにも何もしなくても余分に保険金が貰えるのである。
そしてそのポイントというものは業界の内輪のみで共有されていて一般には知られないようにできているのである。
実際にはあの保険の約款という、細かい字で何十ページも改行なしの一本調子で書き綴られている中に書かれているのであるが、あんなもん誰が読むか、というか、読まれないようにあんな書き方をしているのであるのは明白である。
10両以上盗むと打ち首、それ以下は黥罪流罪、という江戸時代の刑罰がヌスト仲間や官僚の内輪だけで共有されていたという話にもつながってくる。
これは何かどこかで見たような感覚なのだけれど、まったくそういういま現在のわかりやすい話でいうと、労働組合の中心部で組合費を恣にして会社と対決している人間がナゼカ会社に厚遇されている、というような身近なはなしに似ているのである。
保険外交員というのは我々庶民の味方をするようなそぶりで近づいてくるけれど、実際にはその胴元の意を受け、自分たちが儲けるための原資を巻き上げるのに必死で、給料もその集金量で決まってくる徴税請負人のような仕事なのである。
大体あれだけの人数の社員やら契約社員らを高額な給料で雇っている、雇ってやっていける生命保険業界というところが、その契約のうすらあやしく、一方的簒奪の傾向を示しているといえる。
どう考えたってその一般人の支払う保険掛け金というのは「奴らを食わせている」という感覚のものに見えるのだが、そう思うのは私だけなのであろうか。
ま、生命保険システムの悪口はこれくらいにして、逆に我々のほうに、保険というシステムに擦り寄っていってしまう下卑て萎びた心根のほうに問題はないかと考えると、もし自分が逆に保険金を貰える側、貰う側に立ったときどう思うかという問題がある。
イシイくんが欲しいのかミートボールが欲しいのかという話である。
生命保険というのは残される人間を思いやってするものであるが、その対象である残されるものどもはどう考えているのか。
人が死んだとき、人間は「悔しい」「悲しい」などの感情を抱くが、これらの感情に本質的な差はなくて、実際その人間の死に対してどれくらいの惜しさがあるかによって感情のフレ幅がある、というのはすでに18世紀半ば、イギリスの哲学者、J.エドワーズによって明らかにされている。
その著「死と環境」のなかで述べられている「K指標」の高低によってその人物に対する心象的感情が「さみしい<かなしい<くやしい<・・・」と累進していくというのはまさにその人間の単純な「死」に対する思考回路を示していて顕著である。
K指標というのは簡単にいうと、当該対象人物に何か起こったときにその人物を惜しむ度合いの強弱のことである。
例えばある人間が死んだ年齢を考えたとき、80歳で死んだ人と、3歳で死んだ人に対しての周囲の抱く惜しさ名残惜しさというのは、たとえ同じ境遇で同じ病気で死んだとしてもまったく異なる。
80歳はまあ大往生。寂しいという程度。
3歳というのはその運命の非情さと悔恨のレベルは想像を絶するものがあるであろう。
つまり3歳児が死んだときの「K指標」は80歳死人の同指標より数倍高いと言える。
自然死か事故死かなどによってもその「K指標」は上下する。
そして例えば、そういう指標の高低からいうと、私の場合、1.虎一じいさん、2.下宿のおばさん、3.テレサ・テンというふうになっている(K指標でいうとテレサ<下宿<虎一)。
「テレサ・テン」が死んだとき、私はちょうど「大銀」という定食屋でハンバーグ定食をむさぼっていたのだが、そのニュースがテレビのブラウン管から流れた瞬間、手に持っていた箸を大げさでなくコトリと落としてしまった。
周りでメシを食っていたタクシーの運ちゃんらは?という顔をしてこちらを見ていたが、それはまさに私の青春の土塀が音を立てて崩れる瞬間で、これから私は何を支えに生きていけばいいのでしょうか・・といったような喪失感にうちのめされていたのである。
「下宿のおばさん」というのは私が大学1〜5年生まで下宿した、銀閣寺から歩いて10秒の「N」という下宿家の家主の奥さんである。
何やかんやと世話になっていて、これを書いている最中にも「なんで死んだのか・・」と切なくなってくる。
特に、その頃生活が乱れていて、下宿に帰らない日が続いて、亡くなったとき、葬式にも出れなかったというのが我がK指標をいやがおうにも高めてしまっている。
久しぶりに下宿に帰ってそれを知ったとき、人生で初めて私は慟哭したのである。
備え付けの二槽式の洗濯機が全自動になった日、キンモクセイの花が咲いた日、聞いた京ことば、その発音や音程、息遣いまでもが、偽りでなくいまだに心に刻み込まれていて耳から離れない。
それから一度もお墓に行ってないけど、彼女の墓はわがこころの仏教寺院のかえでの木の下にぽつんとしかしきちんとある。
「虎一じいちゃん」は私の実の祖父。
今まで人生に登場した中で一番好きな人物の一人である。
性格的にも世の中で一番できた人だった気がする。
葬式では同年代の老人がみんな泣いていた。
子供の時にはいろいろ遊んでもらっていろいろ教えてもらったのに、大きくなったらなんとなく疎遠であまり寄り付きもしないでいたら、ある日突然死んでしまった。
孫らしいことをあまりできなかった、もっと話すことがあったのではないか・・と悔やんでも悔やみ切れないこの自己嫌悪は悔しいというより狂おしいといった表現が正しいくらい後悔している。
いま自分の子供を見ていて思い出すのだけれど、私はよくおじいちゃんの後ろを付いて回っていた。
戦争で中国に行って揚子江ワニを見た話や、潜水艦の話、機銃掃射で死にかけた話、キュウリの蔓に絡まって死んだ先祖の話、いろんな話を聞かせてもらった。
初めてカブトムシを捕まえたのもおじいちゃんと一緒だった。
ゴエモン風呂を一緒に沸かしたり、全日のプロレスを一緒に見たり、両親にしかられてオモテにおっぽりだされて、泣きながらおしかけて一緒に夕飯食べたり、しかし、どれもこれも覚えているのは幼いときの思い出ばかりで、新しいものは何もない。
そんなにしてもらって最後は実質の無視である。
思春期のせいにするも無様だが、老人に対する哀れみと蔑みの目が無かったとも言い切れまい。
月並みにも因果は巡り、虎一じいちゃんの時も私はぶらぶらしていて死に目にあえなかったのである。
このようにみてきて、果たして残された人間が保険なんぞという訳もわからん制度により金銭やらモノを残されてそれは幸せなのだろうかと考えたとき、明確にそれは否と答えることができるのではないか。
そんな、家族が死んだからといって入ってきた金で何をせよと言うのか。
よほどそんな金があったらその金で生前、温泉やら、海やら行ったり、一緒にソフトクリーム食べたりしたかったと思いやしないか。
私はおじいちゃんとまた一緒に廃材で戦艦を作りたかったのである。
一緒にジャガイモと玉葱の味噌汁を食べたかったのである。
一緒に烏帽子山に登ってオニギリ6個も食べた私を「よういちはすげえなぁ」ってまた誉めてほしかったのだ。
たとえばここに1万円ある。
将来のため保険代に使うのか、いま家族や友達と遊ぶのに使うのか。
アリとキリギリスの有名な寓話があるけれど、あれはキリギリスに非や落ち度がある話ではない気がするのである。
アリもキリギリスも終着点での結末はそれほど変わらない。
アリはそのためこんで貯えたもので何をしたのか、たぶん楽しいこともなく突然死んでしまったに違いないのである。
ありもしない将来に安らぎの幻想を抱えるアリと、今の境遇を最大限に楽しもうとするキリギリス。
その差は歴然としている。
虎一じいちゃんはもうかえってこないのだ。
わけわからんトモコサンへの冥加金より、自分の将来の担保より、自分がいなくなった後の周囲の人間への心付けなんかより、もっと大事なものがここにある。
命身磁化し恋せよ乙女。
蒸着せよ!宇宙刑事ギャバン!
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