海洋空間壊死家族2



第40回

ノブレス   2004.2.27



我々は地上136階部分に居住していて
このいまでも建設中の摩天楼に上限はないけれど
ふと下を見ると目もくらむような下階層が見えて
逆説的に心は落ち着いて満たされる
狂暴な集団心理に身を任すこともなく
爆裂する群れの意志に恐れ戦くこともない

ダガモシ
この建物が平面的で地平線まで続く建物のようだったら
我々はそれこそ毎日殺しあい
いがみあい騙しあう醜い暮らしを強いられるだろう

けれど私はいま地上136階にいる
地上1階まであと135フロアもあるのさ



このあいだ、関西の「財界人」というような素性の知れない人々の集まるとかやの会議に出席してきたのだけれど(もちろん財界人としてではなく)、まあ、そこには財の国からの使者が珊瑚や瑪瑙を持ち寄って集うというような幻想に満ちた世界はほぼまったくといっていいほど存在せず、実状としては、一種の小金を持った出たがりが集結して自分の成功覃や冒険覃を自慢をしあっているというような集会であったというのは言わずもがなの結果であったのだが、やっぱり自らを以て財界人とか、知識人と任じるというようなヒトというのは、それまでの人であることよなあというのが私の偽らざる感想である。
特に会議後に催された記念パーティーに潜り込んで、そこで饗される酒やブッフェ食をヒットアンドアウェイのバタフライビー戦法によりつまみ食いしてきたのだけれど、ほんと、わくわくしつつ口にした鮭の刺身は今まで食った中でケツから二番目の味覚的退廃であったし、白ワインもそこらで買った料理用ワインのような風味がただよっていて、そこでガハハハハァと豪快に笑っている人々のレベルというものをまざまざと見せつけているようで、なかなかに庶民のうっぷんが晴らせる仕掛けと趣向が痛快の催しであったのであった。
例えば、ニシン蕎麦がそこでサービスされていたのだけれど、注文してみると、なんと置いてあったニシンの一匹を4分の1程度に砕いてからボソボソのそばにのっけてはいどうぞ!という、ジャロもエーシーもびっくりの嘘つき見せかけ誑しの背徳の京名物がすべてをものがたっていた。
いや別に鰊なんてそんなうまいもんじゃないからどうでもいいんだけんど、そんな財界人ともあろう方々に吝嗇の粗食をさしあげなくてもいいんではないか・・と思ったのだよ。
ま、そのような卑屈な叫弾とストレス発散はそこまでにして、その二日間にわたって繰り広げられた会議期間を通じて、何が私の心に一番響きわたってきたのかというと、まったく話は変わってしまうけれどそれはホテルでのある出来事なのであった。

とりあへず一日目の会議も終わり、その日の夕方、エライさんに金を出させてうまい中華料理をたらふく食って、という割には小心者根性丸出しに、酒も紹興酒カメ一瓶そこそこに抑制しつつ、おべっかのつくり笑いに頬をヒキつらせながら深夜にホテルにたどり着いたのであるが、そこでバタンきゅうと眠ったつもりが、ふと目覚めると、まだ夜更けの2時くらいで、おやまあ、と思ったのはいいけれど、それから寝つかれなくなってしまって、照明の明るさを変えたり、枕の種類を取っ替え引っ替えしてみるものの、昼間運動せずに座りっぱなしでくだらない話聞いていたものだから、頭とからだが何かタエなるものを要求しているような焦燥感ですっきりさっぱりと起床してしまった。
普段であったならそれはそれでいいのだけれど、明日も丸一日、会議の一分科会の話をきっかりと聴いてしっかり責任者に伝えなくっちゃあ、というような、ある意味お仕事的な任務もあったので、こりゃ真剣に寝なくてはな!と思い直して、ほんじゃあということで、ラジオ(有線)をつけてみるけれど、なんだか眠れそうなものがやってなくて、なぜか深夜の3時にマハラジャ風扇情ダンスミュージックや、ジャズだと思ってつけといたら急に山下洋輔風のセンセーショナルなピアノソロが始まったり、静かなバラードだと思ったら、彼氏が死んでしまって映画を見るって約束したじゃないー、というような我が眠りを阻止すべく派遣されたエージェントらしきミュージックエンターテインメントが次々とやってきて、それを拒否するため、えーいとチャンネルをガチャガチャやっているうちにどんどん目が覚めてしまった。
だいたいチャンネル変えづらい位置にわざわざボタンが配置してあるんだよな。
もう仕方がないので、がばっと起き上がって、さてさて参ったな・・とふとワキにあるサイドテーブルを見やると、そこにチャンネル表みたいのがのっかっていて、それは有線とラジヲのチャンネル表のようなのである。
なんだなんだ・・これさえ見れば眠れる音楽が見つかるじゃないか・・チャンネル頻繁に変えなくてもそれらしき音楽だけやってるチャンネルが見つかれば、それですべて解決じゃないか!・・と悦びと解決への展望に、ややほっとしながらどれどれと詳しく見てみると、私の期待のベクトルはまったく裏切られ踏みにじられ、そこには信じられないほどのおかしさと楽しさに満ちたサーカスとカーニバルが正月と盆をつれてやってきた!というくらいの激しい興奮を我が心根に呼び起こす文面がつらつらと表になって激しくウィンクしていたのである。

まず、やはり似たような人は多いのか、「眠れる音楽」というようなジャンルが一括りになっていて、ふむふむ・・と見てみると「K27=心音」とある。
?と思いつつも、もしかしてもしかして・・という期待はピッタシかんかんで「ヅワァーコ・・ヅワァーコ・・」という耳障りなアズキ洗いの音のような、あるいは喘息気味のウォーズマンの息遣いのような音が、けたたましくも永遠に鳴り響くチャンネルがそこにはあった。
むむむ・・と思いつつそのすぐ下の「K28=羊の数」というものに興味と悦びの触覚をヒクつかせながらチャンネルを合わせると、これも期待通り、意思と感情と人間の魂というものを細かくシツコクこしとって無機的にした、NHKの放映終了時のナレーションのような無感動な男の声で(感動的でも困るけど)、「羊が361匹・・・・羊が362匹・・・羊が363匹・・・・」とこちらの驚愕に何の反応もせずにひたすら数えまくっているのである。
その冗談のような意図と、それを深夜に聞きながら蒲団にくるまって眠ろうとしている男を客観的に思い描いて、くつくつと低い笑いが込み上げてきて、そうするともう私の興味はトンネルから抜け出た電車のオタケビや、長くて暗い地下道からドブ川に向かって放出された灰色の下水のごとく、サンバとルンバがごっつんこのときめきときらめきの深夜のお笑い超特急となってその夜空へとすっ飛んでいってしまった。
最終的に、羊の数500匹くらいを確認してそれっきりにしてしまったのであるが、実際それはどこで区切られ終了して、また1匹から始まっていくのであろうか?と思うと少し空恐ろしいような気持ちにもなるのである。
たとえばその羊頭放送は、ラジオ(有線)をつけておく限りずっと数えているのじゃないかしら?つうか、いまでも同時進行でこの男は羊の数を数え続けていて、今頃東京のとあるスタジオで死ビトのようにヒカラビながら「羊が6億3856万2032匹・・羊が6億3856万2033匹・・・」などとウワゴトのように羊を数えているのではないか。
そういう意味では我々聴取者は一生追いつくことは不可能で、非常に前衛的な深夜放送なのである。
その他にも「J17=般若心経」というのや、「J11=ソロバン読み上げ算」というのもあって、深夜にそれを聞いているとその楽しさは通常の3倍の能力を供給するマクー空間のような甲状腺上の昂ぶりがある。
これをホテルで聞いて心落ち着かせたり、子守歌がわりに寝ついていく人々というのもいるのであろうなあ。
「ラジオ体操」というのもあって、これは比較的明瞭かつ健康的な目的意識があるのだけれど、それにチャンネルを合わせると、3分くらいスズメが鳴いているのである。
そのあと急にラジオ体操第一が始まるんだけど、せっかちなヒトは始まる前にチャンネル変えるか、ホテルのフロントに怒鳴り込んじゃうんではないかのう、というくらい間の持たない時間的剥離があった。
いま思いついたけどあれは目覚ましと組み合わせて使うんだね。
んで、一番不思議なのが「K39=アリバイ」というやつ。
もう少しで見逃すところだったけど、ん?と思ってチャンネルをあわせてみると、自動車の走る音がびゅんびゅんしゅうぅうぅーごごぉーんと、国道脇のようなリアルさをもって鳴り響き続けるチャンネルである。
そうかそうか・・こういうチャンネルもあるのか・・と思いつつこんなチャンネル使ってアリバイづくりに必死になってる男っつうのもなんだか寂しいなと思う。
横で聞いてる女はいったいどうしたらいいんだろう。
だいたい真夜中にこんなに交通量ある所っつうのもめづらしいんだけど。

はてさて、そんなこんなで(A〜K)×(1〜39)という天文学的量のチャンネルをすべて聞き終えるような気力と勇気もなく、最終的にロッキーのテーマにチャンネルを合わせて眠りに着いたのだけれど、一度あのチャンネル群をすべて聞きまくってみたいという贅沢な気分がいま、ふつふつと沸き上がってくる。
ひとチャンネル3分だけという拘束的禁欲を科したとしてもかなりの時間と日数を要することは明白である。
特に「アニメステーション」というチャンネルがあって、あれは私の琴線に触れすぎて、二日でも三日でも聞いていられそうなものであったのである。
「ゴーショーグン」とか「キョーダイン」とかやってましたぜ。
いま考えるとほんと安易なネーミングですな。

次の日、起きると、当然のようにカラダ全体がだるくて、つまり期待したようなロッキーの効力はまったく失われていて、実際、会議が始まると私の目蓋は般若心経のように重く低く垂れこめて落ちていくのが実感できる最高級財界人どものノタマイであった。





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