海洋空間B級生活のためのB級名言



第8回 アイスを買う時どれにするか異常に悩む俺だけど   2004.3.10



《今回の名言》

どっちを選べど 獣のように生きていくだけ
          〜特撮『アベルカイン』 words by 大槻ケンヂ



君たちはバンドブームを憶えているだろうか?
時代に翻弄されつつも、百花繚乱に狂い咲いた数々のバンド達を。
今回は古きよき時代、90年代の俺様事情を話そうか。
(暖炉に薪をくべ、ロッキンチェアでパイプを吹かし、
 ナイフでハムを削って食べる俺。
 もちろん肩には九官鳥。
 喋れる言葉は「ファック・ミー」だけ)

90年代に入ったばかりの当時、俺は中学2年生のガキだった。
通っていた市立の中学校はボンボンとお嬢の集まる稀に見るバカ学校で、
年に2,3度は原動機付き自転車が廊下を走る学校だった(今は真面目な学校らしい)。
俺は当時本当にダメな男で、モテない、面白くない、賢くないの
「3ない運動」も真っ青のないない尽くしな男子生徒だった(今もそうだが)。
休み時間は似たようなダメ男子学生と「大富豪」して昼御飯代を稼いだり、
水道の蛇口の青いポッチリをマジックで赤く塗って
「お湯が出るぞ!」ってわめいたりしていたなぁ。
懐かしいなぁ。
その頃は本は読んでいたけど、それ以外のことはしていなかった。
ホントにしていなかった。
音楽も興味なし、週刊漫画も読まない、夜遊びは厳禁、テレビも見ない、
性にはやたら詳しいけど頭でっかちなだけでよくわかっていない…。
なんだコイツ!?
まさか当時の俺も10年後には
漫画と小説と映像に囲まれて暮らしているとはよもや思うまい!!
つーか、中学の頃の俺って仏門まっしぐらじゃん!
何か悟れよ!
勉強机の前で瞑想してたら金色に輝く大日如来がやって来て
「その調子ですよ。
 何もかも忘れて本を読み、規則正しい生活をして俗世と離れて生きるのです。
 そうすればきっと極楽浄土へ行くことが出来るでしょう!蜘蛛の糸で」
みたいなことをやんわり言われていたんじゃないかなぁ。
もちろんリバーブ全開の声で。
そして俺もチャクラ全開!

そんなある日俺に転機が訪れる!
中学3年生の大事な大事な受験を控えた年のことです。
…深夜ラジオにはまりました。
いいのか?ほんとにいいのか?
今こそ勉強しろ!と言われたとしてもお構いなく。
オールナイトニッポン、聴きまくったよ。
『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』を。
毎週聴いてた。
すっげー面白かった。
俺には姉と妹がいるのだが、彼女らが聴いている夕方のFM番組から流れる洋楽は
何が何だか分からなかったけど、深夜ラジオを聴いて
「ラジオってこんなに面白いんだ!」と夜な夜な興奮していた。
(こっそり買った週刊プレイボーイにも興奮していた。
 違う意味で。)

その頃はまさにバンドブーム。
ブルーハーツや、JUN SKY WALKER (S)、レピッシュ、ジッタリンジン、たま、
GO-BANG'S、ユニコーン、アンジー、かまいたち、オーラ、X、BUCK-TICK、
そして筋肉少女帯。
こういったバンド名を聞いて胸が「キュン」ってなった人は、
もう、オジサンオバサンの範疇に入ります。
ちなみに俺のダメ中学で圧倒的な人気を誇っていたのはブルーハーツだった。
級友達は「リンダリンダ〜♪」って叫びながらピョンピョン跳ねていた。
正直、申し訳ないが、何が一体楽しいのかまるでわからない俺でした。
だって、その当時はバンドブームが起こっていることすら知らなかったしぃ。
今考えてみると、ブルーハーツの曲って格好良いんだけど、
その頃の俺にしてみたら世界観が違っていたんだと思う。
そして何よりも、多数派に組み入ることをどこかで格好悪く感じていたんじゃないかな。
「3ない男」の上に、アレが小さいっていうコンプレックスがあって、
ああ、アレって鼻のことだよ?
…で、どこかで自分は他の人とは違うんだという強迫観念めいた思い込みがあった。
みんな腕時計を左手にしてるから俺は右手にしたりしていた。
利き手に腕時計をするのは至難の技だったが、
今では逆に左手に付けることが困難になってしまった。

その中でも深夜ラジオを聴いているということは、その頃特殊中の特殊だった。
さらに好きなバンドは筋肉少女帯。
完全なマイノリティだ。
クラスでも浮きまっくっていたが、同好の士も集まった。
5人くらいだけど。
休み時間はどのコーナーが良かっただの、小遣いはたいて筋少のアルバム買っただの、
番組でかかってた山崎ハコの「呪い」って曲が家にあっただの、今度それを貸してくれだの、
お礼に「死ね死ね団のテーマ」を貸してあげるだのでそりゃもう大盛り上がり!
つくづく類は友を呼ぶってほんとだなぁって感じたよ。
こいつらマニアックすぎるもん。
でも、まわりの級友達から、
あいつら変わってるって言われることが楽しかった時期でもあった。

そう、賢明なるキッズ達はもうお分かりだと思うが、俺はまさに転落していたのだ。
両親の敷いたエリートレールから大幅に外れ、
マニアック線路は続くよ、ど〜こま〜で〜も〜♪である。
結局進学する高校はワンランクどころかスリーランク下げて
ゴチックパンクの道へとひた走る俺でした。

そこで今回のB級名言は『どっちを選べど 獣のように生きていくだけ』
これはかなりかっこいい!
大槻ケンヂは82年に筋肉少女帯を結成し、
88年にアルバム『仏陀L』でメジャーデビューしている。
顔にひび割れメイクをして意味もなくヌンチャクを振り回す彼の姿にしびれ、
奇妙キテレツでありながら人間の内面、特に弱々しい部分をえぐり出すような歌詞、
ギタリスト橘高文彦氏の様式美満載メタルフレーズに息を飲んでいた。
初めて筋少の曲を聴いたのはやはり「オールナイトニッポン」で、
アルバム『月光蟲』に収められている「僕の宗教へようこそ」だった。
もう打ちのめされましたよ!
歌詞の内容はというと、
「犬神憑きのはびこる町にやって来た少年教祖が、
 この病を治すには万病に効く宇宙線をキャッチする大きなアンテナを
 家に立てて踊り続けなさいなさい、と住民に売りつける。
 町中の人はアンテナを立てるが、ことごとく家が潰れていってしまう」
といったストーリーになっている。
どうよこれ!かなりやばくない?
江戸川乱歩に毒されていた俺がはまらないわけがない!
しかし、俺は高校に進み、彼はUFOにはまり、バンドはギスギスし始めた。
そう、バンドブームも終わりに近づいていたのだった。
結局筋肉少女帯は97年にアルバム『最後の聖戦』をラストに活動休止、
さらに大槻ケンヂ脱退という形で幕を下ろした。
大槻ケンヂはテレビへの露出も多く、タレント的なポジションも持っていたが、
その頃はあまりテレビでも見なかった。
しかし、彼は2000年にパンクバンド『特撮』を始動させる。
先行マキシシングル「アベルカイン」は本当にカッコ良かった。
俺はバンドを辞めない、タレントじゃない、ミュージシャンだ。
そんな意気込み以上に、生きることへのがむしゃらさを突き付けられた気がした。

相変わらず、奇妙な世界観を持っている。
彼は94、95年にSFの短編小説に贈られる星雲賞を受賞していたり、
吉川英治文学新人賞の候補に上がるなどして作家としても活躍している。
実際、「中島らもと大槻ケンヂにハズレなし」と言われている。
実際面白い。
俺が言うんだから間違いない。

ところで、2進方ってわかる?
俺は時々考えるんだけど、
人間の進む道って2進方で出来てるんじゃないかと思うのだ。
どこかで必ず何か進む方向を選択するでしょ?
俺で言うと、あの頃、ラジオを聴いていなかったら。
かかっていた曲が筋少ではなくTUBEだったら。
休み時間にみんなでサッカーをしていたら。
そう、パラレルワールドにいるどこかの俺は何してるんだろうね。
大学出て結婚して子供が2人くらいいて、
はしゃぎ盛りの子供の相手しながらビール飲んで、ナイターの結果が気になって、
タバコはベランダで吸ってって嫁に怒られて、
見上げた星空を眺めながら、パラレルワールドのことを考えるのだろうか。
それでもそっち側の俺はがむしゃらに生きていて欲しい。
会社で課長になり損ねても、
得意先のむかつくやつに嫌事言われても、
会社からリストラされて、
なかなか家族に言い出すことが出来なくて公園で暇を潰していても、
それでも生きていて欲しい。
どっちを選んだから正解なんて、自分が死ぬときにしか分からない。
俺は中学を卒業するときに決めたことがある。
『付和雷同するべからず』。
意味は各自で調べて欲しい。
そこに意義があるから。
選んだらひたすら生きろ。
獣のように。




アベルカイン 『アベルカイン』 特撮
1st Maxi シングル

徳間ジャパン
2000年1月26日リリース

ヴォーカル:大槻ケンヂ
ギター:NARASAKI
ベース:内田雄一郎(後に脱退)
ドラム:有松博(現ARIMATSU)
ピアノ:三柴理





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