海洋空間バンコク随感録




 第15回 TSUNAMI   2005.1.23


今年最初の話題・・インド洋大津波。
現在でもバンコクのお茶の間のトップニュースは「TSUNAMI」です。
NHKプレミアムやCNN、BBCでも「TSUNAMI」という文字を見ない日はありません。
災害が起きていなければ、
今回はタイ南部のクラビ&ピピ島特集をUPする予定でしたが、
この地方は大変大きな被害を受けたので、内容を変更します。
日本のテレビでも報道されているようなことは省き、
私や周りの人の体験談や、タイの新聞に書いてあることを書きます。

昨年12月26日午前に発生したスマトラ島沖の地震では、
バンコクも震度1の揺れを記録した(そうです)。
私はごくわずかな揺れに気づきませんでした。
日本の友人からの
「スマトラ島で大きな地震があったけど、バンコクは揺れなかった?
津波がプーケットとかに来なければいいのにね」というメールを見て、
初めて地震があったことを知りました。
しばらく経ってテレビをつけてみると、こりゃまたビックリ!
津波の映像が流れていました。
地震が発生した2時間後には、
タイ南部に津波の第一波が到着していたようです。
私の知っているクラビもピピ島も
そしてプーケット パトンビーチも往時の跡形なく、
しばらくテレビの画面に釘付けの日々が続きました。

私は津波発生の数日後にドバイへ行くため、バンコク国際空港にいました。
空港内ではプーケット方面からのケガ人を数人見かけました。
ケガ人のほとんどがヨーロッパ人で、両足に包帯を巻いてる人や、
車椅子に乗っている人、歩けないために空港内を走る電動カーに乗っている人、
ほとんどのケガ人は足を負傷していました。
タイの犠牲者の半数は外国人旅行者で、
中でもヨーロッパ人が大多数を占めます。
きっとクリスマス休暇を利用して
寒い国から暖かい国へバカンスに来ていたのでしょう。
在タイ企業は12月31日〜1月3日が休暇という企業が多く、
100組以上の在タイ日本人が
プーケット方面へのツアー予約を入れていたようです。
もちろんすべてキャンセルですが、この地震があと4〜5日遅かったら、
もっと多くの人々が被害に遭っていたのかもしれません。

日が経つにつれ、いろいろな被害情報が入ってきます。
プーケットで一番被害の大きかった
パトンビーチにあるホテルに宿泊していた人の話。
外に出かけようとしたときに、
「逃げろー」(何語だったかは不明)という叫び声がして、
ホテルの階段を駆け上がり九死に一生を得た

2階まで水浸し。
しかしその日のうちにバンコク入りをしなければならず、
空港へ行くタクシーを拾うために何キロも歩いた
(普段なら2〜3分でタクシーを拾えます)。

今回、プーケットで飼われているゾウ・トレッキングのゾウたちが
津波の直前に海の異変に気づいていた
ようです。
何度も奇声を上げ、そのうち鎖をちぎって山へ逃げたり、
中にはトレッキング中の人を乗せたまま山へ逃げたり…、
ゾウに乗ったままの人は恐怖そのものだったと思うのですが、
結果は津波の犠牲に遭わず無事だったのです。
これぞ野性の勘というものでしょうか。

現在、世界中から被災地に向け、大勢のボランティアの方の力と、
たくさんの支援物資や義援金が届けられています。
行方不明者捜索とともにインフラ整備がいち早く求められています。
先日タイ政府が
「日本には復興技術と災害対策技術を教えてもらいたい」と言っていました。
政府も莫大な義援金の用途がわからないようです。
ちなみに被災地で重機が入れないところではゾウが出動して、
崩壊したガレキの運搬など頼もしい仕事ぶりを発揮しているそうです。

今回の津波でタイ国王の孫も亡くなりました
巨額の義援金を寄付したミハエル・シューマッハの親しい友人が
プーケット周辺で亡くなってしまい、
ハリウッド俳優ジェット・リーもモルディブで休養中に津波に遭ったようです。
皮肉なことに、海は以前の静けさを取り戻し、
すでに観光客の数も戻りつつあります。
津波で兄弟を亡くしたタイ人歌手が
「TSUNAMI」を歌にしてヒットしています(哀歌ですが)。
被災地には少しでも早く復興してもらいたいものです。

この場をお借りして、
心配してくださった方への返信メールが遅れたことをお詫びいたします。
ということで次回は明るい話題にします。
また見に来てね。






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