M-1よりもR-1よりも断然に面白いこのたびの中川昭一氏のアレ、世の中が上手く回っている平時であればわははははと笑っていられるのかもしれないが、さすがにそんな趨勢にはないので日本国民の一人としてまったく情けない限りである。
それにしてもよくもまあ絶えることなくわらわらと湧いて出てくるものだ、愚にもつかぬこの手のトピックスが。
民主主義国家において、不正や腐敗や汚染のない社会を作り出すことはそもそも不可能ではないのか。
前提として、清廉潔白を身上とし、長いものに巻かれるなどもってのほか、徹頭徹尾正義を貫いて生きている、これからも生きていく、なんていうタイプの人は、いたとしてせいぜい全体の10%、いや、5%とかのものとする。
そうした場合、じゃあ代議士として世の中を糺してやろう、と息巻いて奉職している人たちは、そんな5%の人たちの集まりである、などと考えるのはもちろん大きな誤りであって、たとえ母集団が全日本国民であろうが国会議員であろうがサラリーマンであろうが主婦であろうが、欲に目が眩むことなく常に信念に従って利他的に振る舞うことができる“清く正しい”人の割合は、5%、じゃないか?
政治家になろう、と決意して行動に移した当初こそ正義感に燃えていたとしても、いざ実際にその立場になり、旨味に溢れた利権を目の前に差し出されれば、95%の人間は確実に転ぶ。
これは妄想でも虚言でも何でもなくて、高級官僚などは言わずもがな、政治家といえども、甘い汁を吸ってブクブクと肥えている、という本当にたくさんの実例を私たちは目にしている。
本音としては、一切不正や汚職に関わっていない政治家なんているわけねーよ、というのが多くの国民の思いかもしれないが、まあ皆無ということはないだろうから、せいぜい5%、という話。
とすると、法治国家において、立法と行政を担う主体で働いている人の95%が、我々と同じように金が落ちていれば拾い既得権益があればしがみつき我が身が危うくなれば保身に励む人たちなわけだから、清冽な社会など出来上がるわけがないのである。
高邁な理想を掲げる独裁者による支配を許しておらず、多数決という鉄原則を持つ民主主義を標榜しているのだから、なおさら。
実はこんなことは改めて書き記すまでもなく、たぶんほとんどの人たちが感覚的に気付いている。
ジャーナリストの中には、馬鹿な政治家を選んでいる国民にも責任がある、と言う人もいるが、その言い分は正しいように聞こえて実態には即していない。
サブプライムショックに始まった経済危機だって、根っこのところはまったく同じだと思う。
伝え聞くように訳の分からぬ怪しげな金融商品を非富裕層に売りまくったら、遠くない将来にどのようなことが起こるか、おそらくその分野を生業としている人たちは察知していたはずだが、皆が目先の利益を諦めることができなくてチキンレースのようになってしまった顛末が今。
資本主義経済というものそのものがまだ「一回り」していない状態でありながら、これまでのサイクルをさらに増幅させつつ繰り返していけば無限に右肩上がりを続けていくことができる、と本気で信じていたとは思わないが、結果的にはそうした胴欲に基づく妄信が、今の暗くて不活発な世の中につながっている。
ほら、サラリーマンだって同じでしょう。
経営陣も、自分が退任、退職するまでは自らに損失が及ばないように腐心するけど、自分がいなくなった後のことを本気で憂いて粉骨砕身する人は20人に1人じゃないかな?
これまでは、いくら政治家がアホだ、官僚が狭量だとはいっても、世界各国の中では状況は比較的マシな方なんじゃないか日本は、と思っていたわけだが、さすがにあそこまでおかしな人物が首相という位置に立っている今の状況はあまりに常軌を逸している。
かといって、解決策はたぶんないから、やっぱり泥酔会見を観ながら笑うしかない。
♪ Iron Head - Rob Zombie