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2006年11月 9日(木)

この国に住むもののDNAか

「枕草子」の一節、「冬は、つとめて」じゃないけども、僕は今時分(もうちょい後かな)、初冬の早朝が好きだ。
仕事柄あまり早起きな方ではないが、それでもたまには業務上の必要に応じて大多数の勤め人と同じ頃、もしくはそれ以前の時刻に起床しなければならないことがある。
そういった朝、まだ半覚醒の眼と脳がしびれている感覚を持ちながら、「うああ寒いなあ」なんてつぶやいてヴェランダから白っぽい外を見やる。
天気は雨や曇天よりは晴れている方がやっぱりいい。
その瞬間に知覚するおぼろげな感覚が、好きだ。

言葉で明瞭に説明しきることはできないけれど、あえて試みるならば、冬の晴れた朝というものにもれなく備わっている“老い先短い有限性”のようなものにとても惹かれているのだと思う、たぶん。

ああ、ちょっと肌寒いけど気持ちのいい朝だなあ、目を覚ますにはこれぐらいの方がちょうどいいや、天気も結構いいなあ、さあ1日頑張るか。
そう素直に思うんだけど、それとともに感じるそこはかとない寂しさ、虚しさ、儚さ。

僕はすでに、この冬の日中というものが供する“陽性”が長続きしないということを知ってしまっている。
今はまだ太陽は東の空から昇ったばかり、黒く白い夜から闇を追い出したばかりだけれど、この明るさとほんのりとした暖かさはほどなく終わりを告げる。
7時になっても「まだボール見えるなあ」なんて叫びながら野球を続けたあの夏の午後とは違って、2時、あるいは3時にもなればすでに陽は夕方のそれになり、5時を回る頃にはもう空も街も夜の支度を急ぐ。
だから僕は、冬の朝に起きると文字通り身も心も比較的引き締まり、有限というものの儚さをおそらく本能的に感得する。

子供の頃、大好きな親戚が遊びに来ると楽しくてうれしくて仕方がないんだけど、その楽しい時間はいくらもしないうちに終わってしまうことを解っているから、漠然とした寂寥感を裡に抱えながら一所懸命必死に遊ぶ、そんな感覚に少し似ているかもしれない。

なぜか真冬よりも、初冬の方がいい。


♪ The Messenger - Elton John & Lulu


コメント

そのDNAはあたしも持っているらしく。

この時期の朝の空気の冷たさと澄み具合には
「今日という日は今日しかない」などと思わせられるのです。
寂寥感なんだろうか。身が引き締まる思いがするのです。

おお、同志よ。
ほぼ同じ感慨じゃないですか。

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